渡良半島散策
渡良(わたら)という名前の由来には2つの説があります。
1つは、室町時代に若狭の国の出身で宝頭十郎左衛門という者が、異国から初めて日本に綿を渡し、この地で綿の栽培を始めたという説です。
もう1つの説は、渡良は、周りはみんな海で囲まれ、ただ、東の方だけ陸地があるだけです。
そのため、昔、ここに来るには船で渡って来るしか方法がありません。
そのことから、わたり村と言っていたのがなまって渡良になった。というものです。
海岸線は、風光明媚なところで、釣り客も多く、ヤマザクラの名所でもあります。
又、小崎は、豊臣秀吉が朝鮮出兵をしたときに、水先案内人として九州本土から雇われてきた人が、そのまま住み着いており、江戸時代には、鯨を捕るのに欠かせない刃刺(はざし)の出身地でもあります。
小崎の海士は海女ではなく、男が潜って漁をしています。
御柱(おんばしら) |
右の写真は、渡良半島に行く途中に見える御柱です。
その昔、神様が壱岐の島を作られたときに、壱岐の島が流されてしまわないように、8本の柱を立てて、そこに壱岐の島をつないでおきました。
その8本の柱のうちの1本がここに見える御柱というわけです。
虫供養塚 |
作物の害虫を追い払うために、春分の日に旗を吊り、鐘、太鼓で念仏をあげます。
このような供養塚は壱岐全島にありますが、渡良の供養塚は大きな供養塚です。
自然石が何体も立ててあるので、最初はそれぞれに神仏や諸精霊がまつられています。
写真の虫供養塚は、源三塚と呼ばれているものです。
百姓源三については代官の不正をあばくを参照。
鬼の足跡 |
半島の先端にポッカリ開いた大穴があります。
壱岐ではこの穴を「鬼の足跡」と呼んでいます。
2枚の写真のうち、1枚は真上から見たものです。
穴の大きさは、およそ、直径53m、周囲110m、深さ13mあります。
玄武岩で出来ています。
写真にあるように、鬼の足跡の窪地には洞窟があり海に続いています。
その洞窟から、海水が侵食して、天上が陥没したものだと思われます。
周辺の岩石は、壱岐を代表する玄武岩です。
洞窟の穴を通して入ってくる風を受けると体中の力が抜けてまた新しく力をもらったような気にもなります。
上から、穴の中に降りて、寝転がって空を見上げると丸い青空、切り立った断崖、中で共鳴している波の音がとても心地よく感じられます。
この場所は、夕日スポットでもあります。
春分と秋分の日の年2回、夕日がこの洞穴を貫通します。
草原から見るのも良し、鬼の足跡の穴から見るも良し、この日の夕日は特に絶景です。
この鬼の足跡についてはおもしろいお話があります。
昔、デイという名前の鬼が朝鮮から対馬、壱岐と飛び石伝いにやって来ました。
そのとき、鯨らがたくさん泳いでいました。
これを見たデイは、鯨をすくい捕るために、片足を辰の島に、もう片足をこの渡良の牧崎にまたがり、3頭の鯨をすくい捕りました。
そのときできた穴が、この鬼の足跡だといわれています。
さて、この鬼の足跡は2013年に日本百名洞に選出されました。
選出推薦された理由は、玄武岩海蝕洞として最大級の規模であること、一般の方が安全に海蝕洞を観察できること、ロケーションに秀でていること、とされました。
また、鯨をすくうために、うつむいた時に、かぶっていた烏帽子(えぼし)を、海に落としてしまいました。
その時に、できた島が、烏帽子島(えぼしじま)だと言われています。
烏帽子島(えぼしじま)については、「壱岐までの船旅」の章の「烏帽子島」参照。
ゴリラ岩 |
周辺の景色 |
渡良半島の周辺は、草原になっています。
空には、とんびが舞い、海上には漁船や大型船が通り、いうことなしのロケーションで、マイナスイオンが充満しています。
前方に小さく見えているのは、ゴリラ岩です。
写真は、平原の先端です。
なだらかな平原の先端は、このようにゴツゴツした玄武岩の固まりになっています。
休日には、地元の人達や本土からの釣り客でにぎわいます。
この周辺にはいろいろな形をした岩石がみられます。
いずれも過去の火山活動とその後の風化によってできたものです。
ごつごつした荒々しいいろんな形の岩があり、古代人が作ったような石のテーブルや椅子、会議場、祭儀場、鬼の洗濯岩、ベッドらしき岩もたくさんあります。
ここには石の彫刻の芸術作品が出来上がっています。1度、これらの芸術作品を鑑賞されることをお勧めします。
もちろん、入館料は無料でございます。
岩盤浴やヨガの瞑想にふけることの出来る岩もあります。
火島 |
はるか沖合いに小さな島が見えます。
この島は火島といいます。
昔は比島と書いていました。
最高所が17.5m、原野が一町歩余りの台地状の無人島の小島です。
この島には、男池と女池があり、竜神がいるといいます。
渡良の小崎の海士さん達が毎年7月19日に、郷ノ浦の弁天崎の犬神とともにこの竜神様にお参りします。
玉泉寺の門前に沖の川(おきのこう・川とは井戸のこと)というのがあり、火島の男池が地下で続いているといいます。
そのため沖の川に落ちた人が、翌日は男池に浮かんでいました。
池に落ち込んだら二度と上がることはできないといわれています。
また泳いでもいけないということになっています。
池に石を投げ入れると嵐になり、帰ることはできないともいいます。
島は、個人の所有地で、昔は牧草狩りにも行ったし、水も出て、キャンプもしました。
大昔は、沼津と陸続きでしたが、地震のため火島だけが沖に滑り出して、現在のような小島になりました。
山野草 |
平原には、いろいろな山野草もたくさん咲いています。
2枚の写真のうち、黄色の花はホソバワダン、紫色の花はダルマギクの花です。
苛酷な環境の中で一生懸命生きているのが良く分かります。
ハマゴウやタイトゴメも岩の小さな隙間にかろうじてくっついています。
すすきに寄生するナンバンギセルも偶然見つけました。
紫色の可憐な花です。
アコウの木 |
ツインズビーチ |
塩樽海水浴場と小水浜海水浴場を合わせてツインズビーチと呼んでいます。
二つの海水浴場は遊歩道で結ばれすぐに行くことができます。
小さな入り江にある美しい砂浜のしゃれた海水浴場です。
湾内を一歩外に出たところは荒々しい波が海岸に打ち寄せていますが湾内のビーチは波静かなところです。
周辺の景色も素晴らしく、波の音、小鳥のさえずりが心地よく聞こえてきます。
ジョギングする人たちもいて、静かなプライベートビーチという感じです。
マリンスポーツの施設が充実しており、オフシーズンでも水上バイク、ダイビング、シーカヤック、ウインドサーフィン等のマリンスポーツを楽しめます。
環境破壊 |
皆さん、自然環境を守りましょう。
小崎(こざき) |
特権 |
ここは、小崎と呼ばれている港町です。
豊臣秀吉の朝鮮出兵のときに、水先案内人を出し、その功績により、壱岐のどこででも、漁ができるという特権をもらいました。
また、江戸時代に、壱岐の周辺で、鯨が大量にとれたとき、真冬に、凍てつく海に真っ先に飛び込んで、鯨をしとめるという、刃刺(はざし)という、仕事をしていた漁師がいた場所でもあります。
物静かな、落ち着いた雰囲気のある村です。
蛸壺 |
蛸壺(たこつぼ)です。
これを、海底に沈めて、タコが入って来るのを待ちます。
それにしても、すごい数の蛸壺ですね〜。
安全祈願 |
漁の安全や大漁、健康を祈る竜神様がいます。
毎日、地元の漁師の関係者の方が、お参りしています。