壱岐までの船旅


博多港

壱岐に行くには、博多港から、フェリーか高速船に乗れば便利です。

最近は、博多港に行くと、中国や韓国からのツアー客で一杯です。

船着場には、彼らを待つ、大型の観光バスが何台も駐車しています。














先日、壱岐に行くときに、船乗り場で、自衛隊のイベントが行われていました。

右の写真はそのときのもので、なんでも、南極大陸の氷だそうです。















フェリー

写真は、博多港のフェリー乗り場です。

フェリー乗り場と高速船の乗り場は違っていますので、間違えないようにしてください。

他に、壱岐に行く方法としては、唐津からフェリーに乗って石田港で降りる方法、長崎空港から飛行機で来る方法とがあります。















フェリーだとおよそ2時間ちょっとかかります。

フェリーの料金は片道、3,120円です。














高速船

壱岐に早く、着きたい人は、高速船に乗りましょう。

高速船だとおよそ1時間ちょっとかかります。

高速船の料金はフェリーの料金の2倍の片道5,620円です。

往復だと1万円を超えます。













写真のように、時速80km近い、スピードで走ります。

この日は、瞬間80.2kmまで出したのが、2回ありました。

常時、80kmというのは、無理なようです。














船内には、テレビもあって、退屈しないようになっています。

しかし、テレビは、もっぱら、BS放送が中心なので、あまり、おもしろくもありません。

うるさいだけだ、という人もいます。















船旅

それでは、これから、皆さんと、船旅を楽しむことにしましょう。

博多湾の海の色は、汚れていますが、博多湾を出て、壱岐に近づくにつれて、海の色が真っ青な色に変わってきます。

また、博多港を出て、壱岐に向かう途中には、いろんな島があります。

フェリーの船室に、寝ているだけではもったいないので、ぜひ、甲板にでて、周りの、風景を楽しんでください。

いろんな、発見があります。



能古島(のこのしま)

博多港を出て、10分くらいすると左手に大きな島が見えてきます。

博多湾のまん中に浮かぶ能古島です。

東西1.6km、南北3.2kmあります。

江戸時代に、黒田藩主が、この島に猪(いのしし)や鹿を本土から持ち込んで、猟場にしていました。

その後、増え過ぎて田畑の農作物を食い荒らすので、住民は困っていましたが、戦後、占領軍がやって来て、カービン銃で狩りつくしたということです。

この島には、みごとな桜の木があって、シーズンになると、たくさんの花見客でにぎわいます。

特に、ライトアップされた夜桜は、みごとなものです。








潜水艦

こういう光景もあります。

よく、ぶつからないものですね〜。

















志賀島

フェリーで出発すると、まもなく、進行方向の右手に志賀島(しかのしま)が見えてきます。

以前は、島でしたが、今は、橋がかかり、本土と陸続きになっています。

私が、この島を訪ねたときには、暴走族が、島の周りを、爆音をたてて、何回も、回っていて、さながら、サーキットの島といった感じがしました。



















この島では、皆さん、すでにご存じのように、弥生時代に、光武帝が奴国(なのくに)の国王に授けた、「漢委奴国王」(かんのわのなのこくおう)の、金印が発見されています。

農夫の甚兵衛(じんべい)が、田の溝を修復しようとして、邪魔になる大きな石を動かしたときに、その石の下で光っている金印を、発見しました。
















玄海島(げんかいじま)

忘れもしません。

平成17年4月9日、私達は、村中、総出で、里道の草刈りをしていました。

都会では、考えられないことですが、農村地帯では、年に、5,6回、村中、総出で、道の草刈りを良くやります。

草刈りも終わって、公民館で、ビールを飲んでいたら、今までに、経験したことのない、大きな揺れが2,3回ありました。

地震のときは、外に飛び出てはいけない、という、戒めの言葉も忘れて、全員が、はだしのままで、外に飛び出ました。

それが、「福岡県西方沖地震」と名づけられたものでした。

玄海島は、その時、一番大きな被害を受けた島です。

写真にあるように、今でも、地震の傷跡がうかがえます。

すり鉢を伏せたような形をしています。

周囲はおよそ4kmです。

北風が当たらない南面に、石垣を築いて、ひな壇のように、島の中腹まで民家が建っています。

漁業が盛んな島です。

江戸時代には、この島は、黒田犯の政治犯たちが島流しにされたという、流人(るにん)の島でした。

さて、この島には、百合若大臣(ゆりわかだいじん)の、鬼退治という、話しが残っています。

その内容は、意外なことに、実は壱岐の島に伝わっている、百合若大臣の鬼退治の話しと全く同じです。




松島・加唐島(かからじま)

左の島が松島、右の島が加唐島です。

佐賀県に属しています。

松島は、25世帯、人口82人の島で、海士(あま)漁が盛んです。

キリシタンの信者が弾圧からのがれ、この島に住みつきました。

今でも、松島の全員がキリスト教です。

加唐島は、67世帯、人口250人の島で、漁業が中心です。

水田はなく、島の中央部には畑があります。

加唐島には、猫はいますが、犬は一匹もいないそうです。

休日には、釣り客もたくさん訪れます。






馬渡島(まだらじま)

壱岐に一番近い、佐賀県の島です。

馬渡島については、壱岐の岳の辻参照。


















烏帽子島(えぼしじま)

写真のような岩が見えたら、壱岐と博多の距離の半分を来たことになります。

烏帽子のような、格好をしているので、「烏帽子岩」と呼ばれています。

所属は福岡県です。

周囲約800m、高さは約42メートルあります。

あるのは灯台だけで人は住んでいません。

特別鳥獣指定保護区になっています。

この島は、デイという名前の鬼が、ふんどしで鯨をすくっているときに、あやまって、かぶっていた烏帽子を落としてしまい、それが、この烏帽子島になったと言われています。

デイについては「渡良半島散策」の章の「鬼の足跡」を参照。

壱岐には、烏帽子岩と呼ばれているものが、安国寺にもあります。

安国寺については、壱岐のお寺」の章の「安国寺」を参照。

この島が見えたら、はるか沖の方に、壱岐の島が見えてきます。







遠景

 これは、フェリーから壱岐の島を見たものです。

ご覧のように、壱岐は高い山もなく、島全体が平坦になっています。

 海の色は、鮮やかなマリーンブルーです。

夏でも冬でも、1年中、壱岐の島のきれいな景色を楽しむことができます。













到着

写真は、壱岐にあるフェリーや高速船の発着場です。

壱岐の表玄関は、郷ノ浦港と芦辺港です。

右側の写真の港は、芦辺港(あしべこう)、左側の写真の港は、郷ノ浦港です。

この港から上陸して、壱岐の旅の第一歩が始まります。









歓迎

船を降りたら、皆様、ようこそ壱岐に、と、大歓迎を受けることでしょう。

これから、壱岐の旅が始まります。















前方に見える橋は、郷ノ浦大橋です。

フェリーから降りたら見えます。

平成6年に、不況対策として、作りました。

179mあります。

壱岐では、3番目に長い橋です。






壱岐に上陸されたら、壱岐のことを知りつくしている、「壱岐の自然と文化遺産保存研究会」のメンバーが、壱岐のすみずみまで、ご案内いたします。