壱岐の鬼伝説
百合若大臣(ゆりわかだいじん) |
今から、およそ1200年前の平安時代にあったお話しです。
豊後の国に「満の長者」が住んでいましたが、子供がいませんでした。
2人は神様に百合の花を供え、「どうか子供を1人授けてください」といつも熱心にお祈りをしていました。
この願いを神様が聞き入れて、1人の立派な男の子が生まれ、夫婦はこれを「百合若」と名づけました。
百合若はスクスクと成長し、2人はこの子供を立派な武士に育て上げようと思って、鞍馬山の天狗のところに武士の修行にやることにしました。
免許皆伝になって鞍馬山を下山するとき、天狗は「日の丸」の鉄扇を百合若に与え、「お前が先々危険な目にあったら、この鉄扇を使え。そうしたら、どんなに強い者にも勝つことができる」と言い渡されました。
京都に帰った百合若は、48回もお見合いをしましたが、気に入る人がおらず、結局、六条内裏から「春日姫(かすがひめ)」という8歳の姫君を強奪して嫁にしました。
悪毒王 |
百合若が大臣になった頃、壱岐には5万匹ともいわれるたくさんの鬼が住んでいて、作物を荒らしたりして住民を困らせていました。
鬼の首領は「悪毒王」(あくどくおう)といい、この手下に、風よりも速く走る「ハヤテの太郎」、どんなに遠くのものでも見ることができる「遠見の次郎」、大きな石を遠くまで投げることのできる「ツブテの三郎」という3役がいました。
鬼退治 |
悪さの限りをつくしている鬼達がいることを聞いた百合若大臣は壱岐の島に鬼退治に行くことにしました。
遠見の次郎 |
百合若大臣の船が、壱岐の近くにやって来ました。
壱岐には、どんなに遠くにいるものでも見つけることができる、見張り役の鬼の、「遠見の次郎」が、見張り台のある、初山の遠見石(とおみいし)でこれを見つけました。
「遠見の次郎」は、風よりも速く走ることのできる、「ハヤテの太郎」に、百合若大臣がやって来たことを知らせると、「ハヤテの太郎」は矢のごとく走って、黒崎半島にいた、「悪毒王」に報告しました。
百合若大臣は、初山の遠見石に上陸しましたが、再び船に乗り、渡良(わたら)の沖を通り、黒崎半島に到着しました。
大石と鉄扇 |
「ハヤテの太郎」から、百合若大臣がやって来たという知らせを受けていた、悪毒王は、すぐに鬼達を黒崎半島に集めて戦う準備をして、百合若大臣がやって来るの待っていました。
百合若大臣の船が近づいてくると、大きな風袋(かざぶくろ)で、大風を吹かせ、百合若大臣の船を沈めようとしましたが、なかな沈みません。
やがて、百合若大臣の船は、だんだん、鬼達のいる黒崎半島の岸に近づいて来ました。
船が近づいてきたので、今度は、鬼達は大きな石をビュウビュウと船をめがけて投げつけました。
石があたった船は、沈んでいきました。
「ハヤテの太郎」は特に大きな石を先頭にいる百合若大臣の船をめがけて投げつけました。
しかし、百合若大臣は天狗からもらった鉄の扇で、この大石を、鬼たちのいる場所まではね返しました。
これを見ていた「遠見の次郎」は、「よし、こんどは俺が」と言って、大きな石を力いっぱい投げつけました。
しかし、百合若大臣はこの大石も鉄の扇で、鬼たちのいる場所まではねかえしました。
百合若大臣がはね返した2つの石は、太郎礫(タロウツブテ)、次郎礫といってまだそのまま残っています。
太郎礫と次郎礫については壱岐の珍岩・奇岩参照。
「ツブテの三郎」は、歯ぎしりをして、もっと大きな99999個のイボのついた大きな石を投げつけました。
この石は天に7回、地に7回舞い上がり雷のようでした。
百合若大臣は、この大きな石を受け取り、「持って帰って、記念にしよう。」と言って、船のへさきに置きました。
鬼凧(おんだこ) |
こうして、百合若大臣は、やっとのことで島に上陸し、大部分の鬼どもを殺し、最後に悪毒王と戦いました。
悪毒王は大きな金棒を振り回してかかってきたが、百合若大臣は見事に鬼の首を打ち落としました。
首だけになった鬼は「無念無念」と狂いまわりながら、空高く舞い上がり、そのまま見えなくなってしまいました。
空高く、舞い上がった、悪毒王は、首と頭をつなぐ、薬をとりに天の国に行きました。
これを知った、百合若大臣は、悪毒王の胴体を、岩陰に隠しました。
しばらくして、悪毒王が、口に薬をくわえて、地上に帰って来ました。
しかし、胴体のほうは、百合若大臣が隠してしまったので、どこにあるのか分かりません。
悪毒王は、しばらく胴体をさがしていましたが、見つけることができないので、今度は百合若大臣の兜にかみついてバリバリと音を立てて噛み破りはじめました。
すると百合若は、兜を7重まで噛まれたとき、「俺の14重あるのだ、まだ7重あるぞ、落ちよ」と叫ぶと悪毒王の首は、地面に力つきて死に絶えました。
本当は、兜は8重で残りは1重しかなかったのです。
危ないところでした。
一方、天上で戦いの様子をおそるおそる見ていた鬼の家来達に向かって、百合若大臣は叫びました。
「壱岐の島の枯れ木に花が咲いたときと、いり豆に芽が出たときに限って降りて来い。」、と。
それ以来、毎年草木が芽吹く桃の節句の頃になると、鬼が天上から降りようと身構えるので、壱岐の人々は鬼が降りてこないように、鬼凧揚げをするようになりました。
鬼凧には、悪毒王が百合若大臣の兜にかみついた絵が描かれていますが、あんなに強かった悪毒王が殺されたことを思い出し、おじけづいて降りてこないといいます。
日本全国に、百合若大臣の鬼退治の話しが残っています。
鬼凧も全国で作られています。
そして、そのどれもが、百合若大臣の兜に、かみついている、図案です。
寝島 |
さて、鬼退治をした百合若大臣は、戦いの疲れで勝本港にある「寝島」で寝込んでしまいました。
これを見た味方の別府兄弟は、これ幸いと、百合若大臣を残したまま豊後の国に帰ってしまいました。
別府兄弟は、百合若大臣は戦死したとウソの報告をしてたくさんのほうびをもらい、百合若大臣の後を継いで、国主に任命されました。
一方、「寝島」に残された百合若大臣は、たいそう驚きましたが、船がないのでどうすることもできません。
片目の小鬼 |
しかし、どこからともなく、一匹の片目の小鬼が現れ、大臣の世話をするようになりました。
小鬼の名前は「木の葉隠れ」といいます。
串山半島 |
2人の住み家は、串山半島でした。
黒瀬の滝 |
今も、この半島には大臣が上り下りした「黒瀬の滝」という断崖絶壁があります。
壱岐では、断崖絶壁のことを「滝」といいます。
ここについている割れ目は、百合若大臣が鉄の下駄で上り下りした跡だといわれています。
食べ物は、巻き貝、ミル、ワカメ、木の実などで、小鬼が口から火を吹いて、煮たり、焼いたりして食べさせてくれました。
夜は、洞窟の中で寝ました。
1年余りこのような生活が続きました。
天手長男神社(あまのたながおじんじゃ)には、この鬼の墓があります。
小鬼の墓 |
平たい石を積み重ね、一番上に大きな石が乗っかっています。
これは、百合若大臣の世話をしていた、小鬼の墓といわれています。
真偽のほどは定かではありませんが、なんとなくロマンを感じます。
帰郷 |
ある日、沖合いに1隻の船が通ったので、この船に乗せてもらい豊後の国に帰ることができました。
別府兄弟は死刑になりました。
メデタシ、メデタシ。