壱岐の天手長男神社
天手長男神社(あめのたながお神社) |
壱岐国一宮(?) |
祭神
天忍穂耳尊(あめのおしおみみのみこと)、天手力男命(あめのたぢからおのみこと)、天鈿女命(あめのうずめのみこと)です。137段の急な石段と3つの鳥居を歩いた山頂に質素な神殿があります。
合祀 仁徳天皇 仲哀天皇 日本武尊 比賣大神
合祀
式内社 壹岐嶋石田郡 天手長比賣神社 名神大
栲幡千々姫尊 左二座 稚日女尊
木花開耶姫命
右二座 豊玉姫命
玉依姫命
壹岐嶋石田郡 物部布都神社 経津主神(布都主命?)
若宮神社(仁徳天皇、仲哀天皇、日本武尊、比売大神)
宝満神社を合祀 2の鳥居は宝満神社の鳥居になっています。
壱岐国一宮(?)といわれています。
「一宮」とは古く平安時代から用いられている名前で、国司がその国の神社を参拝する時に一番初めに参拝するお宮をいいます。
一宮は、その国で最も古い由緒ある神社が選ばれています。
そこから、天手長男神社は、壱岐では一番古い神社と考えられています。
建っている場所は八角形で、すり鉢を伏せたような丘で、鉢形山(はちがたやま)と呼んでいます。
鉢形の由来は、神功皇后が朝鮮出兵の折、兜(かぶと)を鉢(境内地)に治めて、戦勝を祈願したことからこの名がつきました。
昭和40年(1965)、天手長男神社は、たくさんの神社を合祀しました。
向かい側にある天手長比賣神社、柳田触の淡島神社、若宮神社、宝満神社、物部布都神社などです。
これらの神社の神様が、どっと、元からここにある、天手長男神社にやってきました。
ご利益 ⇒ 五穀豊穣、開運祈願、安産祈願、夫婦円満、延命長寿
お堂 |
神殿脇のお堂には無病息災を願って子どもの産着やお供え物が奉納されています。
淡島神(アウシマ様)がまつってあります。
もとは、柳田触にあった社をここに持ってきてまつりました。
安産の神様として信仰されていましたが、今では、ご覧のとおり、子供の無事な成長を祈願し、小さい着物を作ってあげたりしています。
この写真は、淡島神社を移転した後の、移転跡です。
奥深い山の中にあり、なんとなく、淋しさを感じます。
橘三喜 |
延宝4年(1676)、江戸時代、平戸藩主の松浦鎮信(まつうらしげのぶ)は国学者橘三喜(たちばなみつよし)に、式内社24社の調査を命じました。
当時、天手長男神社は、跡かたもなく、老婆から話しを聞いて、この場所にあった竹薮(たけやぶ)の中に分け入り、神社の跡形を探しました。
しかし、結局、神社の跡形は、見つけることができませんでした。
このとき、地元の人たちを集めて、竹薮の中を掘らせていたら、神鏡1面、滑石でつくられている石造弥勒如来坐像を2体、その他たくさんの土器を見つけました。
橘三喜が2体の如来像を掘り当てた場所は石で囲まれ木が1本立っていて、京塚と呼ばれています。
石造弥勒如来坐像 |
延宝4年(1676)、江戸時代、平戸藩主の松浦鎮信(まつうらしげのぶ)は国学者橘三喜(たちばなみつよし)に、式内社24社の調査を命じました。
天手長男神社跡と推測した場所の、発掘をしていて、発見されました。
日本で3番目に古い石像で、国指定重要文化財です。
胸像型で滑石一石で作られています。
高さ54.3cm、最大奥23.4cm、膝張29.0cmあります。
発見された2体とも、盗難にあい、後に1体は、奈良の骨董品屋で、2000万円で売りに出されていたものを、奈良博物館の関係者が偶然発見し、買い求めました。
今は、この1体は、奈良国立博物館にあります。
壱岐には、レプリカがあるだけです。
像の底の部分から、法華経を像の体内に入れました。
背中には、たくさん、お経が彫られています。
鬼伝説 |
豊後から鬼退治に来た百合若大臣は、鬼は退治しましたが、帰る舟を失い島にとり残されてしまいました。
このとき、どこから現れたのか、一匹の小鬼が百合若大臣のためにまめまめしく仕え、食料や住まいの世話をしたということです。
その鬼の墓らしきものが今も残っています。
詳しいことは、鬼伝説参照。
壱岐国一宮論争 |
壱岐国の一宮は天手長男神社であることは間違いありません。
しかし、現在ここにある、「天手長男神社」とされている神社が本当に壱岐国一宮の天手長男神社であるかどうかの確証はありません。
今の場所にある神社が天手長男神社だと推定したのは、国学者の橘三喜でした。
橘三喜は「たながお」という社名からこの場所に、天手長男神社があったと考えました。
また、実際にこの場所で荒れはてた祭祀場の跡も発見したので、天手長男神社であると結論づけました。
三喜の式内社の査定は、月読神社の章で話しましたように地名に基づいたものが多く、現在の研究では疑問が持たれています。
天手長男神社については、芦辺町湯岳興触に興神社があり、興(こう)は国府の意味があります。
また、境内の社に壱岐国総社もあります。
このようなことから、興神社が本来の天手長男神社であり壱岐国一宮であるとする説が有力となっています。