壱岐の大国玉神社

大国玉(おおくにたま)神社



土器

江戸時代には、国分にある、国片主(くにかたぬし)神社で、開催されていた「市」と、並ぶほど、「市」が盛大に行われていた神社です。

平成12年、境内(けいだい)に、愛宕神社の石祠を造っているときに、祝部(いわいべ)土器(須恵器ともいいます)が、出土しました。

また、大正時代には、弥生式土器も発見されました。

近くには、国特別指定遺跡である原の辻遺跡もあります。












狛犬

元気のいい、狛犬です。

これほど、活き活きしている、狛犬は、見たことがありません。

今にも、向かって来そうな雰囲気です。

きちんと、シンボルもついています。













 力石

境内には、力石もあります。

どのくらいの、重さがあるのでしょうか?
























 手水鉢

手水鉢を乗せてある、台座には、きちんと4本の脚がついています。

とてもおもしろい珍しい形をしています。

















巨木

境内には、このような、大きな木があります。

この木は、ホルトノキです。

葉が、赤くなって、散っていきます。















 古墳

この神社には、まだ発掘されていない古墳が2基あります。

そのうちの1つは、乱暴に、周囲が削り取られていますが、土が流れ出ているようすはありません。

どんな物が、隠れているのでしょうか。

発掘が楽しみです。

















祭神

祭神は、大己貴命(おおなむちのみこと)、その息子である事代主神(ことしろぬしのかみ)、菅原道真(すがわらみちざね)、その妻の吉祥女(きっしょうめ)、菅原道真の長男の中将殿(ちゅうしょうどの)などです。


大己貴命(おおなむちのみこと)

大己貴命(おおなむちのみこと)は、大黒様(だいこくさま)とか大国主命(おおくにぬしのみこと)とも言われています。

縁結びで知られる出雲大社におまつりされている神様です。

ここで、大己貴命(おおなむちのみこと)にまつわる、エピソードをお話しましょう。

その昔、隠岐島(おきのしま)に兎が住んでいました。

兎は、本土の因幡国(いなばのくに・鳥取県東部白兎海岸)へと渡りたいと思っていました。

しかし、目の前にあるのは、小さな兎など飲み込んでしまうほどの広い海です。

そこで兎は考えました。

この海にはたくさんの鰐(わに・出雲の方言で、鰐=鮫(さめ)のこと)が住んでいました。

兎は言いました。

「ね〜、鰐さんたち、あなた達の仲間の数と、私たち兎の仲間の数とでは、どっちが多いか、数えようと思う。あなた達の仲間を、みんな集めて、ここから、向こう側の岸まで並んでください。私が、その上を通り、数えましょう。」。

これを聞いた鰐たちは、だまされているとも知らないで、喜んで承諾し、兎の言うとおりに島から岸まで一直線に並びました。

兎はその上をはねて渡りながら数を数えながら渡りました。

そして渡り終えて、向こう側の岬に、降りようとしたときに、兎は「あなた達は、私にだまされた。

実は海を渡りたかっただけだ。」と言ってしまいました。

これを聞いた、一番最後にいた、鰐は、兎に襲いかかり、兎の皮をはいで、丸裸にしてしまいました。

兎は、その痛みに耐えかねて泣いていました。

と、そこへ、八十神(やそがみ)と呼ばれる神様が来ました。

八十神というのは、大国主命の兄弟の神様達で、八十というのは、80人という意味ではなく、「たくさんの」という意味です。

この神は大変残酷な神様で、兎に「海水に浸()かれば、すぐに治るだろう。」と教えました。

それを聞いて、兎は、さっそく海に浸かりました。

兎は、全身が焼けつくような痛みに襲れ、もはや泣き声も出ず、必死で陸地に上がって倒れ伏していました。

今度は、八十神と一緒に旅をしていた、大国主命が、兎に言いました。

「体を真水で洗い清め、さらに蒲の花(がまのはな)を、下に敷いて、その上に、伏していれば、もとの肌に戻るだろう。」

そうして兎はなんとか回復することができました。

このとき、通りかかった、八十神は、この近くに住んでいる、八上比売(やかみひめ)に、結婚を申し込みに行く途中でした。

大国主命は、八十神の旅行の用具や食糧を入れた袋をかついで、お伴をしていました。

そして、この一部始終を見ていた八上比売(やかみひめ)は、大国主命と結婚することになりました。

承知しないのは、大国主命の兄弟の、八十神達です。

彼らは、大国主命を殺してしまいます。


事代主神(ことしろぬしのかみ)

事代主神(ことしろぬしのかみ)は、大国主命の子どもです。

エビス様ともいわれています。

豊漁、海上安全の神様です。

またエビス信仰の福神様でもあります。

釣りが好きな神様で、七福神のエビス様は、大きな鯛を小脇に抱えています。

天に住む天照大神(あまてらすおおみかみ)が、地上も支配しようとして、地上の国を譲るようにと、3回、使者を、出雲を治めていた、大国主命のところに派遣します。

このとき、大国主命は、釣りに出かけていた、息子の事代主神の意見を聞き、息子が賛成したので、出雲の国を、天照大神に譲ることにしました。

そして、大国主命は、出雲の国を譲る条件として、宮殿のような、大きな住居を建ててほしい、と、天照大神に言い、それが認められ、今の、出雲大社ができました。


菅原道真

水神社を参照してください。


吉祥女(きっしょうめ)

吉祥女(きっしょうめ)は、901年、藤原氏との勢力争いに負けて、大宰府(だざいふ)に左遷された菅原道真(すがわらのみちざね)の妻です。

奧州胆沢郡母体(おうしゅういさわぐんもたい=現在の奥州市前沢区母体)に3人の子どもと従臣とともに配流(はいる)されました。

903年、夫の菅原道真が亡くなったことを知らされると、そのショックで病気になり、906年に亡くなりました。