壱岐の興神社

興神社(こうじんじゃ)


一の宮?

この神社の敷地はおよそ1000坪あります。

昔は、壱岐国一の宮とか国府社とよばれ、また、拝殿は印鑰大明神(いんにゃくだいみょうじん)と呼ばれていました。

一の宮とは、古く平安時代から用いられている名前で、国司がその国の神社を参拝するときに一番最初に参拝する神社のことをいいます。

だから、壱岐では一番古い神社ということもできます。

壱岐では天手長男神社(あまのたながおじんじゃ)が今壱岐国一の宮とされていますが、これは間違いだというのが定説になっています。

興神社の「興」は国府という意味で、近くに壱岐国府があった場所と考えられています。






市役所

印鑰神社は、平安時代に、朝廷から渡された公印と倉庫の鍵を管理していた神社です。

印は壱岐国の官印、国印のことです。

また、鑰は郡官庁の倉庫の鍵のことです。

今風に言えば、市役所と同じ役割だと思ってください。

その国の印鑑と鍵は国司が国をおさめるのに最も重要なものです。

印鑰神社が、ここ、興神社にあることは、この近くに、律令時代の官庁の建物か、付属設備があったことになり、興神社が一の宮といわれる理由がここにあります。

主祭神は、足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと・仲哀天皇のことで神功皇后の夫)、息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと・神功皇后)です。





肥前鳥居

右の写真は2番目の島居です。

ご存知のとおり肥前鳥居ですね。

肥前鳥居というのは、横になっている石の先端が丸みを帯びて、そり上がっています。

島居の右脚には松浦鎮信(まつうらしげのぶ)の銘が刻まれています。

高さは3.45mあります。










本殿

本殿です。

長崎県で3番目に古いものです。

棟札によると江戸時代に建てられたことになっています。













 ホルトの木

ホルトの木は、常緑樹ですが、古い葉は、赤く紅葉します。

神聖な木とみなされ、神社の境内には大木があります。

ホルトの木の名前は、「ポルトガルの木」の意味で、果実がオリーブに似ています。

このことから、江戸時代の学者である、平賀源内がオリーブの木と間違えてつけたという話が残っています。

興神社には、2本のホルトの木がありますが、2本とも、タイワンリスが幹をかじって、食べています。