壱岐の邇自神社
爾自(にじ)神社 |
神功皇后 |
難しい漢字ですね〜。
この神社の本殿裏に、縦約3.9m、横約3.3m、高さ約2.7m、周囲約11.4mの大きな石があります。
玄武岩でできていて、「東風(こち)石」と呼ばれています。
以前は、宝殿の中にありましたが、中世に今の場所に移しました。
神功皇后が三韓出兵のとき、勝本浦に寄港しましたが、順風がないため出船できません。
そこで、この東風石と呼ばれている、この巨石に東風の順風祈願をしたところ、この石が二つに割れ、そこからさわやかな東風が吹き出しました。
神功皇后は、この風で出航することができました。
中世には、この付近は勝本の聖母宮の神領となっていました。
財政難 |
さらに江戸時代になると、朝鮮通信使とこの東風石が深い関わり合いを持つようになりました。
朝鮮通信使は、将軍が代るごとに、お祝いに訪れました。
朝鮮通信史は300から500人の大使節団で、平戸藩は江戸までの行き帰りに朝鮮通信使の接待を勝本浦でおこないました。
しかし、この接待、莫大なお金がかかりました。
風向きの関係で、壱岐での滞在が長くなると、藩の財政が苦しくなります。
そこで、神功皇后の故事にならって城代に命じ順風祈願をさせました。
祈願は、8人の神主による大神楽で行なわれました。
運良く東風が吹くと、白銀や米などが送られました。
灯篭 |
大きな石のすぐ隣にある灯篭(とうろう)には、「寛文十一年十一月吉日」(1671)と刻まれ、15人の名前が刻まれています。
手前に見える白い灯篭ではありません。
お伊勢参りの道中、船旅の安全祈願をし、それが成就したので献納されました。
肥前鳥居 |
この石の鳥居は、江戸時代につくられたものです。