壱岐の長峰天満神社

長峰天満神社

祭神

菅原道眞公(すがわらみちざねこう)、吉祥女(きっしょうめ)


大正
5年 無格社高峰神社を合祀して、伊弉冊尊(イザナミノミコト)、素佐男尊(すさのおのみこと)、菊理姫命(くくりひめのみこと)を祀る。


菅原道真は、皆さん、すでにご存じのように、文才や政策に優れた人で、民間人で、初めて、右大臣にまで、上りつめた人です。

遣唐使の廃止を決めた人でもあります。


しかし、左大臣の藤原時平は、道真が嫌いで、失脚させることをねらい、道真が、醍醐天皇(だいごてんのう)を退け、斉世親王(ときよしんのう)を天皇にしようとたくらんでいる、と醍醐天皇に告げ口しました。

醍醐天皇は、たいへん驚き、道真を大宰府に流しました。


道真が京都を去る時に詠んだ、「東風吹かば にほひおこせよ梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」、の歌があります。

この歌を聞いた、庭の梅は、京都から一晩で、道真の住む屋敷の庭へ飛んできたということです。

これが、飛び梅伝説です。


道真が太宰府で死んだ後、京都では、天変地異が続き、まず道真をおとしいれた、藤原時平がで急死します。

その後、疫病がはやり、日照りが続き、20年後には醍醐天皇の皇太子が死亡、次の皇太子も数年後に亡くなり、人々はこの一連の事象を、道真の怨霊の祟りとして恐れました。

そこで怨霊の怒りを鎮めるため、人々は、菅原道真を神として祀り、北野天満宮を初めとする、神社を造りました。


吉祥女は、菅原道真の妻となった人です。

菅原道真が、九州大宰府に左遷された後、道真の妻、吉祥女も、3人の子と従者とともに、奥州丹沢郡母体に流されました。

道真が、亡くなったという、知らせを受けると、病に伏して、道真の死後、3年後に亡くなりました。


長峰天満神社の境内には、道長伝説につながる、飛び梅が植えてあります。

写真の鬼瓦も、道真が左遷させられたことに対する、怨霊を感じます。





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