壱岐の天道神社 十七


天道神社

祭神


素盞嗚男尊(すさのおのみこと)、奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)、脚摩乳命(あしなづちのみこと)、 手摩乳命(てなずちのみこと)

配祀 五十猛命(いそたけるのみこと)、大屋津姫命(おおやつひめのみこと)、抓津姫命(つまつひめのみこと)

相殿 

彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)、豊玉彦命(とよたまひこのみこと)、豊玉姫命(とよたまひめのみこと)



乱暴な振る舞いが多かった素盞嗚男尊は、高天原(たかまがはら)を追放されます。

出雲の鳥髪山(現在の船通山)に下りた、素戔嗚男尊は、八岐大蛇のいけにえにされそうになっている、脚摩乳命と手摩乳命の娘奇稲田姫命に出会います。

3人の話を聞いた、素盞嗚男尊は、みごと、八岐大蛇を酒に酔わせて、退治し、奇稲田姫命を妻にもらいます。

古文書に次のような記述があります。

天道大明神(素盞嗚男尊)が、韓国や新羅を征伐し、対馬を通り壱岐に帰ってきて、小牧村にある大江の浜に着きました。

この地に滑川という井泉があり、その川から竜馬に乗り、滑木(なめき)の辻に着き、ここに神殿を造りました。

人々は敬い、この山に登らなかったと言います。


五十猛命(いそたけるのみこと)は、素盞嗚男尊が海神の女と契り、生まれた子供です。

父親に劣らない武雄の神様です。

父親と一緒に新羅国にも行きましたが、この地が気に入らず、埴土で船を作り、これに乗って、帰国し、出雲国の簸()の川上(斐伊川の上流)と安芸の可愛(え)の川上ににある島上の峯に降りました。

その時、植物の種を持ち帰り、日本中に植えました。



 



由来

この神社は古く、創立年代は分りません。

藩主の崇敬が厚く、祭日には馬廻衆が参拝し、社殿の造営の時には松浦藩から白銀5枚が献されています。




鳥居と灯籠

神社は、がっしりした、みごとな、肥前鳥居の奥にあります。

鳥居は江戸時代、延宝4年(1676)に造られています。

鳥居の足元には、力石が置いてあります。

写真でお分かりのように、住吉神社と同じく、拝殿と本殿が鳥居よりも低い所にあります。















鳥居の手前にある、石灯籠の大きさにも、びっくりさせられま
す。




















三猿

拝殿の屋根には、見ざる・言わざる・聞かざるの3猿が座っています。





















大臣

貫録のある右大臣です。















境内

境内には、桜木社、恵比須祠、十六善神、大神宮、稲荷祠、庚申神璽、観音堂などがたくさん並んでいます。

その中の一つの建物の中に、木造の狛犬がいます。














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