壱岐の聖母宮
聖母宮(しょうもぐう) |
奈良時代 |
奈良時代に創建されました。
1200年以上の歴史があります。
古くから領主や国主もお参りしていて、「壱岐国2の宮」と呼ばれていました。
昔は、聖母宮のすぐそばまでが海でした。
今は埋め立てられましたが、波や風を防ぐための立派な石垣がいろいろな所にたくさんあります。
神功皇后 |
伝説の豊かな神社でもあります。
弥生時代、神功皇后は三韓出兵のために3270隻の船で壱岐の島にやって来ました。
皇后は、そのとき行宮(あんぐう・仮の御所)を勝本に建てましたが、その後ずっと放置されていました。
しかし、毎晩、海中から光るものが上がってきて建物の周囲を照らすというできごとが続きました。
そこで、地元の人たちは鏡を行宮に納めて神功皇后を神として祀ることにしました。
これが聖母宮です。
また、神功皇后が、敵の首を持ち帰り、浜に穴を掘って埋め、その埋立地の上に聖母宮を建てたという話しもあります。
加藤清正 |
これは石垣です。
壱岐は豊臣秀吉が朝鮮出兵をしたときの前線基地でもありました。
全国各地から集まってきた諸大名が何万人といました。
当然、朝鮮に出発するまでは、諸兵士は暇をもてあますことになります。
このとき、壱岐では、神社やお寺が焼かれたり壊されたりしました。
また、住民は乱暴されたり暴行されたりもしました。
そこで熊本藩主加藤清正は兵士達の勢力のはけ口としてこの聖母宮の周辺に石垣を造らせました。
昔は、この石垣の近くまで海でした。
今では埋め立てられこのようになっています。
朝鮮出兵について、詳しいことは、安土桃山時代 壱岐の朝鮮出兵参照。
鯨組 |
右の写真は表門です。
この門も加藤清正が朝鮮の出兵(文禄の役)のときに造らせ寄進したものです。
最初は上の横柱に加藤清正の家紋「蛇の目」が刻み込まれていました。
その後、江戸時代に、勝本の鯨組の当主で大富豪の土肥市兵衛がこの表門を改築しました。
今では、この門には土肥家の家紋の「蔦(つた)」が刻み込まれています。
鯨組について、詳しいことは、江戸時代 壱岐の鯨捕り参照。
裏門 |
左の写真は裏門です。
この門は同じく朝鮮出兵のときに肥前藩主の鍋島直茂が造営寄進したものです。
家紋の「抱き茗似」が刻み込まれています。
裏門の周りにとうろうや狛犬がみえます。
これらは、江戸時代に壱岐の鯨組の土肥組が寄進したものです。
壱岐の名工 |
これは壱岐牛の石像です。
のどかな表情をしていますね〜。
この石像は江戸時代の壱岐の名工山内利兵衛(やまうちりへい)が造ったものです。
この牛の石像をこの場所から17kmほど離れた志原(しわら)というところから担いで持ってきたという話です。
壱岐は、弥生時代から牛が飼われていました。
壱岐の牛は、黒毛和牛で、皆さんたちは松坂牛や神戸牛の牛肉を食べられたことがあると思います。
その松坂牛や神戸牛の元牛はこの壱岐で飼育され出荷されたものです。
ですから、皆さんはたちは松坂牛を食べているときは壱岐牛を食べていることになります。
茶壷 |
左の茶壷は安土桃山時代の「天正二十年」銘の古唐津焼(こがらつやき)で、大変貴重なものです。
豊臣秀吉が朝鮮出兵をしたときに、朝鮮に従軍した壱岐の城主、日高喜(ひだかこのむ)と元岡修理(もとおかしゅうり)が注文主となって朝鮮で焼かせたものといわれています。
日高喜は朝鮮出兵で戦死しましたが、元岡修理は帰国して、渡良に移り住んでいます。
内側に薄く青梅波紋があります。
流し口が欠けていますが学術上大変貴重なものです。
県指定文化財です。
日高喜について、詳しいことは、室町時代 なぜ壱岐は長崎県?参照。
本殿 |
右は聖母宮の本殿の中です。
江戸時代に平戸藩主と4代目土肥市兵衛が寄進建築したものです。
多色の顔料を使用した色彩鮮やかな彫刻が施されています。
大胆さと精細さを兼ね備えていて芸術性がとても高いものです。
鯨組の土肥市兵衛が寄進した木材は壱岐にはない高級品のけやきがふんだんに使われています。
壱岐には、けやきの木はないので、対馬からでも、持ってきたのでしょうか。
床板だけでも家が数件の家を建てることができるといわれています。
今、同じものを建てるとすると数億円はかかります。
三韓出兵 |
左の写真は、馬蹄石(ばていいし)と呼ばれているものです。
神功皇后が三韓出兵のときに、馬上から遠く朝鮮の方を望んでいると、愛馬に神功皇后の気合いがのり移って、馬が石を強く踏みつけたときについたヒヅメの跡とされています。
一番上に石が立ててありますが、その立っている石の土台にヒズメの跡が4個あります。
馬蹄石の左下にある小さな石塔には元寇の上陸地と書いてあります。
そうです。
この場所は、元寇のとき、元軍が上陸した場所でもあります。
舟グロ |
聖母宮では毎年10月になるとお祭があります。
神功皇后、忠哀天皇、応神天皇が乗っているみこしも出ます。
右の写真はフナグロ競争といって、ふんどし姿の若者がそれぞれ5人ずつ、赤白2組に分かれて競争するものです。
赤が勝てば大漁、白が勝てば豊作といわれています。
聖母宮のお祭りについては、壱岐のイベントを参照
パラオ産 |
いや〜、本当に驚きました。
こんなに大きなシャコガイを見たのは初めてです。
神社の手水鉢(ちょうずばち)に使用しています。
パラオ産です。
聞いたところの話によりますと、昭和14年に真珠採りにポナペ島に行った人が地元の役人からもらったものだそうです。
残りの半分はパラオにあるそうです。
パラオ共和国は長く日本が占領していた国でフィリピンの東側にあります。
日本の後はアメリカが占領していました。
1994年にアメリカからやっとのことで独立しました。
日本の学校の跡地も残っていて、日本語の話せる人もいます。
力石(ちからいし) |
これは、力石と呼ばれているものです。
石の大きさによって、重さが違います。
どの石を、持ち上げることが出来るかによって、持ち上げた人の、力が分かる、というものです。
力自慢の人は、持ち上げて、みてください。