壱岐の本宮八幡神社
本宮八幡神社 |
豊前国宇佐郡八幡を勧請したので宇佐八幡になりました。
祭神 東殿聖母大神、中殿住吉大神、西殿八幡大神。
鎮懐石2個は内殿にあります。
この山にいる蝮(まむし)や蛇は人に噛み付くことはないということです。
また、近くの水田にいる蛭(ひる)も、人に吸い付くことはないそうです。
これはこの神社の神様のいましめがあるから、といわれています。
1658年、江戸時代、壱岐はひどい飢饉にみまわれました。
そのため、藩の奉行所が崎野のあたりの木を切って薪(まき)にしました。
ところが、薪を切るために使った斧や山刀、牛馬の鞍などが大きな松の枝の上に移されていました。
人々は困惑しました。
また、12月21日の丑の刻に神社の内殿の中央の扉が2つに割れて、神の光が東をさして飛び去りました。
その形は数反の布を敷いたようだったので、人々は肝をつぶしました。
その後、25日にこの村の神楽場に小屋を作り、祓(はらえ)をし、祝詞を述べ、神楽をして、3日3晩神の帰りを祈りました。
27日の丑の刻に神の光が御殿の中に入っていきました。
このことから、神社の木を切ると神が怒るということが分かったということです。
ちょっと急な山頂へまっすぐ伸びる参道を登ると階段があり、階段を上りきると日清、日露戦争凱旋祈願の石灯篭が建ち並んでいます。
これは、日清戦争の戦勝祈願のために作られました。
その上にはトビの像が置かれています。
鬼伝説で名高い百合若大臣の鷹、みどりまるがモデルになったといわれています。
これは、日露戦争のときの戦勝祈願のために作られました。
何となく歴史を感じさせますね〜。
これは、江戸時代に作られた石燈籠です。
絵馬 |
ここには江戸末期に奉納された絵馬が多く残っています。
裏手にある本殿の絵はみごとです。
鯨漁で栄えた鯨組関係者が奉納したといわれています。
また江戸初期の神楽面も有名です。
本宮山は、海路の交通、漁のおりの目標にされ深く信仰されました。
伝説 |
八幡大神が鬼どもに言いました。
本宮八幡神社の近くに、御手洗湾(みたらいわん)という入江があり、ここに、柄杓江(ひしゃくごう)と呼ばれている中州があります。
この中州を、1夜のうちに柄杓江(ひしゃくごう)とをつなぐことができたら、この国をやろう、というものでした。
喜んだ鬼どもは、1夜で築き合わせようとしました。
あと、もう少しで完成するときに、八幡大神が、山上に上って、鶏の声を出しました。
鬼どもは驚きました。
今の勝手口はそのときの残りです。
石鳥居 |
元禄2年建立されました。
彫刻 |
拝殿にある素晴らしい彫刻。