壱岐のその他のイベント



サイクルフェスティバル

平たく言えば、自転車競走です。

毎年、500〜600人が参加します。

島外からもたくさんの人が参加します。

主に、長崎県、福岡県の方が中心に参加しますが、東京、埼玉県からはるばる参加する方もいます。

壱岐にとっては、感謝、感謝の方々です。

壱岐では最大のイベントの1つです。

スタッフだけで1500人を超すという規模です。

人口21000人の小さな島から、1500人がかり出されるので、それだけでも大変な負担です。

数年前、急カーブを曲がれず、ガードレールに激突し、参加者の方が1人、亡くなるという事故が発生して以来、その存続が危ぶまれていましたが、結局、続けられることになりました。

レースは、海岸線に沿って、島内を一周します。

プロ選手が参加する部門と、一般の方が参加できる部門との2つに分かれています。

一般部門は、ヤング、シニア、レディースに区分して行われます。

小学生のコースもあります。

壱岐は、平坦な島なので、極端なアップダウンはなく、そのために、自転車では、比較的、走りやすいと思います。

それでも、1回自転車に乗れば、スピード競争なので、周りの景色を見るという余裕はないとしいうのが本音です。

レースが終わった参加者のなかでは、フラフラしながら帰宅する人もいます。

それでも、走りきった満足感が顔に満ちあふれています。








祇園山笠

日本の祇園祭は、平安時代に、京都から全国に広がりました。

壱岐では、郷ノ浦町と石田町で、祇園祭が行われています。

特に、郷ノ浦の祇園祭は270年の伝統があります。

壱岐では、祇園祭のことを「ぎおんさん」と呼んで、親しんでいます。

由来

壱岐の祇園祭は、江戸時代に、郷ノ浦本町の住吉屋(すみよしや)という、造り酒屋の家族が疫病にかかり、蔵男と呼ばれていた杜氏(とうじ)が、元居にある八坂神社に、山笠奉納を約束して、病気が回復するのを一生懸命に祈りました。

そのかいがあって、病気が治り、郷里の筑前から、山師を招いて、山笠を造って奉納しました。

ところが、それから13年後に、再び、壱岐で疫病がはやりだしました。

このため、農産物や海産物がまったく売れなくなり、町中の活気もなくなり、郷ノ浦はゴーストタウンのようになってしまいました。

このときも、町中で、山鉾(やまぼこ)を造り、奉納祈願しました。

これが、壱岐の山笠の始まりといわれています。

このように、祇園山笠は、もともと、疫病退散のために祈願するというのが始まりでしたが、最近は、これにこだわらず、五穀豊穣、商売繁盛、大漁祈願、家内安全の祈願もします。

どこでも同じですね〜。

山笠


山笠は、全部で4つあります。

山笠の高さも、当初は10mm以上ありましたが、あまり大型のものは道路も混雑するし、わがもの顔に張り巡らしてある電線のために、現在は4m位にまで制限されています。

非常に、寂しいです。

山笠を担ぐ人は、子供も含めた700人くらいです。

山笠を担ぐ人は、疲れると交代で担ぎます。

バケツやホースで水をかけたりして、ほてった体を冷やします。

湯気で、体から水蒸気が湧き上がっているのが見えます。

「オッセー、オッセー」「ヨーカイタ」「ヨーサシタ」のかけ声とともに、太鼓が鳴り続けます。

山笠の重さは2トンあります。

山笠は、平坦な道路だけではく、上り階段もあります。

上り道、下り道もあります。

途中、山笠どうしをぶつけるところもあります。

前夜祭

前夜祭には、歌謡ショーなどがあり、盛り上がります。

前夜祭では1万2千人ほどが集まります。

壱岐の人口は2万1千人なので、計算の上では、2人に1人は参加していることになるのでしょうか。

夏祭りでは、壱岐で最大の祭りです。