壱岐の隠れキリシタン遺跡
壱岐の隠れキリシタンの遺跡には、次のようなものがあります。
ここに取り上げているのは、ごくごく、ほんの一部です。
お祈り |
この石像は、一心にお祈りをしている猿の像です。
しかし、猿の形をしているのは、頭だけで、体は人間の形をしています。
何を祈っているのでしょうか。
キリシタンが迫害されていた頃の石像だと思われます。
右の石像を見ると、祈りの姿が、ω(おめが)の形をしているのが分かります。
ωは、キリシタンであることの象徴です。
それにしても、お祈りをしている隣にいる猿は、お祈りをしている猿を暖かい目で見守っているのが、良く分かります。
この周辺には、このようなキリスト教に関係した遺跡が他にもあります。
女性 |
ちょっと画像では、見づらいのですが、この2つの観音様は、幼児を胸に抱き、乳房や乳首を出している観音像です。
観音様は、本来は、中性ですが、写真の観音様は、女性になっています。
キリスト教が禁止されていた時代に、隠れキリシタンが礼拝をしていたといわれています。
右側の観音様は、最近風化と劣化が激しくて、胸の一部がはげおちていました。
修理しても、もとの像を損なう感じがして、修理するかどうか、難しい問題です。
マドンナ |
信仰深い夫婦が、写真にある祠(ほこら)を掃除していました。
このとき、床下に古い瓦がうずまっているのを偶然発見しました。
それを1枚1枚めくってみると、かわらの下の土の中から、聖母子像と4人聖人像が出てきました。
4聖人像は、玄武岩でできています。
顔は、西洋人でガウンを着ています。
4人の名前は、宣教師のヨブ、エリパズ、ビルダデ、ゾパルです。
旧約聖書を理解しているキリシタンによって作られています。
聖母子像は、砂岩でできています。
右側に立っているのがマリアで、ロザリオを持っています。
左側に立っているのがイエス・キリストです。
胸の前でしっかり組み手をして祈っています。
参多 |
この石の祠には、サンタマリアを漢字で表している「参多」という文字が刻まれています。
隠れキリシタンの信仰の対象ではなかったかといわれています。
参多=サンタ・マリアでしょうか?
ハート |
ご覧のように、ハート型の手水鉢(ちょうずばち)です。
一匹の蛇が手水鉢を横切っているのがわかります。
隠れキリシタンが、手水鉢から水をすくい上げて、神社やお寺に参拝するようにみせかけて、心の中ではキリシタンのお祈りをしていたと考えられます。
ハート型と蛇を組み合わせたものは、壱岐にだけしかありません。
写真の手水鉢の一つは、札所に、もう一つは野保佐社にあります。
投獄 |
写真の場所は、アウグスチノ大田、コンスタンツオ神父ら7人の宣教師を投獄した場所です。
白い建物の裏側に牢屋がありました。
今でも、牢屋の跡の石垣が残っています。
以前は、この周辺は海岸でした。
今は、この建物の下が駐車場になっていて、この場所で、五島出身のアウグスチノ大田は処刑され、遺体は海に捨てられました。
アロンの杖 |
左側の像は、「アロンの杖」を持っているのではないか、といわれています。
アロンはモーゼの兄です。
「アロンの杖」とは、モーゼが イスラエルの神から授かり、モーゼと兄アロンが使っていた不思議な杖をいいます。
アロンの杖は、蛇になったり、水を血に変えて魚を死なせたり、蛙やブヨ、アブを大量発生させたり、疫病をはやらせたり、ウンカやイナゴを大発生させたりした、魔法の杖です。
また、ユダヤ人がエジプトを脱出するときに、モーゼが杖を掲げると、海が割れ道ができて、追ってきたエジプトの軍隊を海に飲み込んだ杖ともいわれています。
この石像が持っている杖が、「アロンの杖」なら、相当、旧約聖書について詳しい人だと考えられます。
三つ葉模様の比翼塚 |
比翼塚とは、一つの墓に、二人の男女の名前が書かれている墓をいいます。
二人の男女の仲は、相思相愛の夫婦であったり、恋人同士であったり、心中したり、といろいろです。
三つ葉模様の比翼塚は、壱岐ではとても珍しいものです。
戒名の上には、卍の印と○印が彫られています。
この墓と向かい合って、次にお話しする剣舟型をした十字架を描いた、墓があります。
私も、比翼塚を造ろうかと考えていましたが、妻から、死んでからも一緒の所に行くのは嫌だ、と、けんもほろろに、拒否されました。
私が死んだら、葬式ぐらいは、やってもらえるのかなぁ、と、不安です。
剣舟型十字架 |
よ〜く見ないと、分かりませんが、剣の形をした、舟が書かれています。
全体で、十字架を表しています。
もともとは、持ち主の家の、荒神棚に祀ってあったものを、ここに移した、といいます。
変形五輪塔 |
この石像、以前は、台石があって、その台石に十字の印がありましたが、最近は、その台石が取り除かれ、セメントで直接、接着してあります。
台石が取り除かれた理由は分かりませんが、残念なことです。
元の台石に十字の印があったことから、キリシタンの遺跡と考えられます。
聖水甕・供養塔 |
神社の境内にあります。
右端の写真は、西洋の酒甕で、司祭が、聖水を捧げるために用います。
中央の供養塔には、手の合わせはW型(オメガ型)の祈り、着衣はエンゼル羽で、キリシタンの礼拝物と考えられます。
小さな供養塔なので、子供の供養塔ではないか、と考えられています。
左端の石祠の扉には、×(斜め十字)を左右に分けるの線が入っていて、これもキリシタンの印と考えられています。
家型刳り貫き墓碑 |
1つの大きな石に、屋根、壁、仏像を刳り貫いて、彫ってあります。
石は、玄武岩です。
二体の仏像にの衣の模様に、IHSの文字が図案化されています。
木の葉が積もって見えませんが、流紋岩でできた、大きな蓋石が敷かれています。
壱岐では1つしかない墓碑です。
無銘墓碑 |
もともとは、二つありましたが、この家で納骨堂を造り、納めてしまい、今は、1つだけ残っています。
通常は、墓石には、お寺から戒名をもらい、墓石に刻みますが、この墓石には仏教の戒名がないので、キリシタンの墓といわれています。
文政時代の惣之介という人の墓ではないか、といわれています。
地震でも倒壊することなく、建っています。
日向様 |
日向様については、朝鮮出兵を参照してください。
メンシアの拝塔 |
メンシアの拝塔については、安国寺を参照してください。
舟形比翼塚 |
比翼塚とは、一つの墓石に、二つの名前が書かれているものをいいます。
この比翼塚は戒名もなにも入っておらず、無名です。
夫婦なのか、それともキリストとマリアを表しているのか、不明です。
下の方に、連続した△の模様があり、蛇を表しています。
古代には、蛇を表すのに、連続した△を用いていました。
さらに、その下に、大きな△の印がありますが、これは、蛇の頭か、三位一体(天の父なる神、その子のイエス・キリスト、聖霊・聖神(神の力、神の霊))のシンボルと考えられています。
六面石幢 |
壱岐には、石柱に、6人の像を彫ってあるものがたくさんあります。
その中に、彫られている石像を見ると、キリシタンが崇拝していたのではないかと思われるものがあります。
写真の六面石幢(ろくめんせきどう)は、以前はお寺が建っていました。
今は、廃寺になっています。
ここに彫られている六面石像の一つに、写真のような姿をした、石像があります。
この石像、T頭、組手合掌、ω(おめが)型、エンゼル羽をしています。
六面石幢 |
この三基の六面石幢(ろくめんせきどう)も、以前はお寺だったところにあります。
こに刻まれている石像は、通常の石像とはまったく、違った姿をしています。
この姿は、明らかに、通常の僧とは異なり、キリシタン僧の姿をしています。
手に持っているものは、何でしょうか?
石碑文字 |
石碑に刻みこまれた文字をみると、南無阿弥陀仏ではありません。
最後の文字が「仏」ではなく、「イ天」になっています。
十字紋 |