壱岐の七名水

壱岐の七名水

壱岐は、魏志倭人伝にも書かれているように、古代からずっと、竹木やそう林がたくさあり、自然豊かなところです。

そういう所から、水が豊富で、山林の周辺では、いたるところから、きれいな湧き水が流れ出ています。

人々は、この水を利用して、米や野菜を栽培したり、家畜を養ったり、焼酎などを生産してきました。

古文書によりますと、この場所は、壱岐七名水の一つといわれている、という、文言が出てきます。

しかし、壱岐七名水が、どこにあるかを、述べているものはありません。

古文書を調べても、分かりません。

そこで、ここでは、古文書に、名水と書かれている、場所を取りあげます。





御手洗水滝(おちょうずのたき)



















壱岐の人々の信仰の章の「御手洗水滝」
を参照してください。















桜川(さくらごう)

江戸時代に書かれた書物によりますと、東西75cm、南北90cm、深さ57cmありました。

この湧き水は、渡良村の青波賀大明神(スサノオノミコト)の花川でした。

水の中にたくさんの陶器がありました。なぜ、ここに陶器があったのか、その理由は分かりません。











今でも、無色透明の、澄み切った水が、湧き出ています。


水の中には、川エビがたくさん、住みついています。

隣にある、小さな池の水も澄み切っていて、池面には、ホテイアオイの水草が生い茂っています。














御手水井(おちょうずごう)

この湧き水、古文書によりますと、縦3.9m、横1.6m、深さ90cm、水中45cmとあります。

江戸時代の大きさに比べて、小さくなっている感じがします。













日照りが続き、旱魃があっても、水の量は減りません。

むかし、神功皇后が、三韓征伐に出かけた時、逆風に会い、7日間足止めをされ、この時、山から流れ出てくる水で、手を洗ったので、この名があります。















海岸のすぐ傍にあり、見晴らしは、最高です。

この場所から、神功皇后が上陸したのでしょうねぇ。














常盤井(ときわごう)

常盤山から流れ出てくる清水です。

大雨の時にも、また、旱魃のときにも、増えたり減ったりすることはないので、常盤の水と呼ばれています。

古い本によりますと、縦1.5m、横45cmありました。

この水は、武生水(むしょうず)という、村の名前のもとになっています。


夫木集に、少将内侍が、「やかて我心そうつる常盤井の水に やとかる月ならねとも」、とよんだのも、いとゆかしくそ思い出される、とあります。



近くには、ステゴドン象がいます。




鳥山井(とりやまごう)

古文書によりますと、上にある湧き水が出ている池の大きさは、縦70cm、横50cm、深さ90cm、下の池は、縦3.6m、横1.8m、深さ90cmとあります。

水は、東に流れ、洪水のときでも増えることはなく、旱魃のときにも減ることはありません。













夏は特に涼しく、近所のお年寄りや若者が、この水辺に集まり、納涼をしました。

冬は、他の場所の水よりも温かいので、近くの男女が、朝夕に集まり、洗い物をしました。

往来の人々も、この水を愛し、利用しました。

壱岐の湧き水のなかでは、12とも思われる名水です。








川の傍の路頭の左右に、夫婦石と呼ばれている2つの石があります。

石と石の間は、60cmあります。







美濃谷の涙川(みのんたにのなみだごう)

美濃谷(みのんたに)と呼ばれている、33番札所の敷地のなかにあります。

堂主は、小山弥兵衛(こやまやへえ)という、但馬の一揆の首謀者が、壱岐に流されて、預けられた見性寺です。

この寺、明治時代の廃仏毀釈により、廃寺となりました。

この美濃谷のお堂は、普段は訪れる人もあまりなく、ひっそりとしています。

しかし、毎年、彼岸の入りから彼岸の戻りにかけて、壱岐の各地から、33番札所巡りをする人たちや、1年以内に、身内をなくした人たちが、次から次に、湧いてくるように、ここに集まります。

それは、一種、独特の光景です。






お堂の中は、線香の煙がもうもうと、立ちこめ、皆さん、一生懸命に、お祈りをして、亡くなった人の冥福を祈ります。


















人々は、竹の杖に椿の花や水仙の花などを指して、涙川と呼ばれている小さな井戸のわきにある、お地蔵様に参拝します。


















この井戸を覗き込むと、祖先の霊や親しい身内の人が、井戸水に浮かんできて、会うことができます。
















お参りが終わったら、持って来た竹の杖を「十方施主供養塔」に奉納します。

1年以内に、親族をなくした人は、ここに置いてある、竹の杖を持ち帰り、なくなった親族の墓に備えます。















これは、「へそ菓子」と呼ばれているもので、1100円で売っています。

美濃谷にお参りした人は、これを買い、このお堂に供え、また、自宅用のものを買って、お墓に供えて、水を注ぎ、供養します。



















椿川(つばきごう)

今でも、コンコンと、湧き水があふれています。

ただ、「飲料水としては、使用できません」、という、貼り紙がしてあるので、飲むことはできません。

















水面にはアメンボウが、スイスイと、泳いでいました。





















プラスα



 清水(きよみず)

石田町に、塩津浜という、きれいな海岸があります。

周辺は、海に崖が、直接流れ込んでいて、近づくと、背筋がぞっとするような場所です。

ここには、壱岐をつないでいた、七本の柱のなかの一本があります。
















かつて、イルカが大量に流れ着き、地元の人達が、大変迷惑したこともありました。


今、この海岸には、イルカの供養塔が建ててあります。


















この、塩津浜の断崖絶壁に、きれいな水が湧き出ている場所があります。

その場所を、地元の人たちは、清水(きよみず)と呼んでいます。

普通、水が湧き出ている池には、エビやアメンボウなどの生物が、住んでいますが、ここの、湧き水には、そのような、生物は住んでいません。















この崖から、湧き出ている水は、下の海岸に流れ出ていました。

この水も、とても、きれいで、飲むと、とてもおいしく、甘い味がします。

















地元の方たちに、お忙しい中を、案内してもらいました。

とても、親切な方たちで、訪れたときは、田植えの準備をされていました。

















この地元の人達から、とても、ショッキングなことを聞きました。

この海岸の隣に、夕部新田という場所があります。

昭和の時代に、この海岸の干拓工事が進められました。

ここの干拓工事に、使用するために、大量の石を、ここ、塩津浜から持ち出しました。

地元の人たちは、海岸が壊れてしまうので、石を持っていくのを止めてほしい、と、県や工事関係者に懇願しました。

しかし、県や工事関係者は、この訴えを無視して、工事を続けました。










その結果、この塩津浜の海岸は、崖が、崩れてしまい、今なお、崩落しています。

海岸にある、大量の石を持ち出したために、潮の流れが変化し、そのために、海岸の崩落が続いている、ということでした。

1つの海岸の干拓工事をするために、他の海岸を壊してしまったのでは、何にもなりません。

地元の人たちは、そう言って、とても、残念そうに話されていました。

早期に、海岸の復旧工事がなされて、海岸が壊れないようにしてもらいたいものです。











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