壱岐の双六古墳(そうろくこふん)


双六古墳


最大

この古墳は標高100mほどある、広々とした草原の中にあります。

発見されたときは周囲は山になっていましたが、周辺の木を切り、草をはらって見学しやすいようになっています。

周辺は竹山に囲まれていて、春先になるとたけのこが一面に顔を出します。

たけのこ狩りを兼ねて見学するのも一方かもしれません。

周辺の竹山には、台湾リスが飛び回っています。

写真をご覧になってもお分かりのように前方後円墳です。

島内には、前方後円墳は10基あります。

前方後円墳は、中国にも朝鮮半島にも存在せず、日本独特の形式といわれています。

壱岐の、この双六古墳は、長崎県では最大のものです。

築造年代は巧みな石造技術と土木工事などから考えて6世紀中期から7世紀初頭と考えられ、ほぼ原形をとどめています。

墳丘の全長は91m、後円部の全長43m、前方部の全長が48mあります。


全体の写真からお分かりのように、前方部と後円部の高さがアンバランスのような感覚を受けます。

前方部の高さが5m、後円部の高さが10mなので、後円部が異常に高くなっています。

この点からすれば、非常に珍しい形をしているといえます。


前方部

右の写真は前方部です。

前方部の長さ48m、幅36m、高さが5mあります。

前方部は、後継者の即位式や祭祀の場として使われたといわれています。











後円部

後円部の盛り土は、かなり急な斜面になっていて、お椀を伏せたような形をしています。

直径43m、高さ10.6mあります。

後円部には被葬者を埋葬した石棺があります。

前方部、後円部ともに、2段構成の、版築工法で造られています。













前方部と後円部との関係

前方後円墳の前方部と後円部はどのような関係にあるのでしょうか。

このことに、関してはいろいろな学説が対立しています。

江戸時代の学者である、蒲生君平(がもうくんぺい)は、前方後円墳の形は、宮車の形をまねたものだ、と言いました。

これに対して、明治時代に、イギリス人のゴーランドは、前方部は、儀式をするためにつくられた、と言っています。

昭和時代に入り、梅原末治は、前方部は、祭壇のためにつくられた、と言っています。

このほかにも、丘陵自然地形説もあります。

しかし、いずれの説も、決定的な根拠がなく、前方後円墳の形については、謎に包まれています。


石室

これは石室の入り口です。

全長11mで、羨道(入り口から石室までの道)、前室、玄室があり、両袖型の横穴式石室です。

現在、羨道は、なくなっています。

入口は南西方向を向いています。

前室の長さは約6m、幅1.8m、高さ1.6mあります。

前室が長くなっているのが特徴です。

周りと天上には大きな1枚岩が使用されています。

以前は、右の側壁にゴンドラ型の線刻画がありましたが、落書きが異常に多く、本当にこの時代に描かれたものか分かりません。

専門家の判断を待っている状態です。

玄室の高さは4m、幅2.5mあります。

立派な石材で見事なできばえです。

赤色顔料が使用されていて、その朱塗痕もあります。


宝物

平成9年〜12年まで発掘調査が行われました。

盗掘を受けていましたがそれでも貴重なものが多数見つかっています。

新羅土器、二彩陶器、金銅製単鳳環頭大刀柄頭(こんどうせいたんほうかんとうたちつかがしら)、金銅製辻金具(こんどうせいつじかなぐ)、金銅製雲珠(こんどうせいうず)、鉄はさみ、銀製勾玉(ぎんせいまがたま)、ガラス製トンボ玉、子持勾玉(こもちまがたま)などの、武具、馬具、装身具、須恵器、土師器などの土器が発見されました。

なかでも、国内では数例しかないという金糸も発見されています。

ここでは、いくつかの、出土品を紹介します。

全てが、国指定の重要文化財です。





1. 金銅製単鳳環頭大刀柄頭(こんどうせいたんほうかんとうたちつかがしら)

太刀の柄の先端部に、取り付けられる飾りです。

丸いリング上には、龍が2匹、重なって、くっついています。

リングの内側には、珠(たま)をくわえた、鳳凰がいます。

韓国の古墳からも、同じ形をした、柄頭が出土しています。












2. 韓半島系土器有脚短頸壺(かんはんとうけいどきゆうきゃくたんけいつぼ)と蓋(ふた)

朝鮮半島で焼かれました。

半径の違う円の文様があります。

鋸(のこぎり)の歯の形をした、三角形の文様が、ぐるりと周りにあり、それぞれの三角形のなかには、斜線が数本、引かれています。

香炉として、使用されていたのではないかと、思われています。

新羅土器とも、呼ばれています。









3. 二彩陶器(にさいとうき)

きれいな、色ですねぇ。

隋の時代に製作されました。

破片だけが発見され、完全な形をした陶器ではありませんが、全体は、湯のみ茶碗のような形になります。

同じ文様の陶器が、中国でも見つかっています。

中国北斉製です。













4. 銀製空玉(ぎんせいうつろだま)

中が空洞になった玉です。

半球の形のものを、別々に2つ作り、それを、合わせて作ります。 

そのまま置いたり、穴をあけて吊るしたりして、装飾品として、使用されたと思われます。













5. ガラス製トンボ玉

なんとなく、トンボの眼に、似ているので、トンボ玉と呼ばれるようになりました。

トンボ玉は、ガラスの上に、青色、黄色、緑色などの色をした、ガラスを、貼り付けて作ります。

出土したトンボ玉は、半分しかなく、半球形をしています。

真ん中に、穴が開いているので、吊り下げて、装飾品として、利用したものではないかと、考えられます。













6. 子持ち勾玉(まがたま)

勾玉は、初期には、1個、1個は小さく、首飾りなどの装飾品として利用されてきました。

しかし、だんだん、大きな勾玉が、作られるようになり、祭祀の用具としても、使用されるようになりました。

滑石製で、縦8.6cm、幅3.6cmあります。

大きな勾玉の、おなかの所に、小さな勾玉が、くっ付いているように見えるので、子持ち勾玉と呼ばれています。














7. パルメット文飾り金具

左右対称の、透かし模様になっています。

パルメットとは、扇のように広がっている、空想的な植物文様をいいます。

もともとは、オリエントやギリシャで、シュロの葉をもとに考案された文様です。

鋲止め(びょうどめ)の、穴があいているので、鉄板か金銅板に、打ちつけられていたと、思われます。

馬に取り付ける、板状の飾り金具で、装飾品として、利用します。












8. 青銅製鈴(せいどうせいすず)

青銅製の鈴。

リンリンリン、なのか、シャンシャンシャンなのか、ぜひ、音を聞いてみたいものです。

中には、鈴玉が入っています。

馬具と一緒に見つかっているので、馬に、馬具と一緒に、取り付けて、鈴を鳴らしながら、馬に乗っていたのでしょうねぇ。

なんとなく、持ち主の人柄が、伝わってきます。