壱岐の神楽(かぐら)


歴史

神楽とは、平安時代の宮廷音楽のことで、神を祭るために舞い踊るものです。

壱岐の神楽は、室町時代に始まったとされ、約700年もの古い歴史を持っています。

初期の頃の神楽は、神職によるものではなく、芸能人の可能性もあります。

その後、時代を経るにしたがって、改められ、舞いや歌も庶民に理解できるようになりました。

昭和621月、国指定重要無形民俗文化財の指定を受けました。

「重要」という文字にご注意ください。





特徴

壱岐の神楽舞や音楽は、現職の神職ばかりで行われ、このような形を持つ神楽は、全国的にも珍しいとされています。

また、神楽は、すべて、2畳の上で舞います。

写真を見てください。

どんなに人数が多くても、使用する畳の数は、2枚です。










時期

壱岐の神楽は、年間を通じて壱岐各地の神社で奉納されますが、大大神楽だけは、1220日に一番最後に住吉神社で奉納されます。

また、毎年8月の第1土曜日に石田町筒城ふれあい広場の野外ステージでも夕方6時から「壱岐大大神楽」が公演されます。















種類

壱岐の神楽の曲目は、全部で33番まであります。

神楽はその踊る人の人数によって、4人で踊る幣(へい)神楽、56人で踊る小(しょう)神楽、7人で舞う大(だい)神楽、12人で舞う大大(だいだい)神楽(磐戸・(いわと)神楽ともいう)、の4つに分けられます。

所要時間は神楽の種類により1時間〜8時間です。

最も多く行なわれているのは大神楽で3時間以上かかり、21曲を演じます。

大大(だいだい)神楽(磐戸・(いわと)神楽は、
35曲、6時間以上かかります。

それでは、内容を、見てみましょう。




猿田彦

面をつけ、太刀を腰にさして、舞います。

高天原の神々は、地上を支配するために、天にいる、いろいろな神を地上に降ろします。

猿田彦は、この時、地上に降りる神の、道案内をした神様です。













手力男

天手力男命(あまのたぢからおのみこと)は、天照大御神(あまてらすおおみかみ)が、天岩屋に隠れた時、強力な力で、天岩屋戸を押し開いて、天照大御神を引っ張り出した、神様です。





















折敷舞(おしき)


お供えをもるお盆(これをおしきといいます)を、左右の手に載せて舞う曲芸的な舞いです。

個人的には、一番好きな舞いです。

思わず、はっとするような場面があります。












二弓舞(にきゅう)

弓と鈴を持ち、独特な足の運びで舞う勇ましい神楽です。

扇や剣を持つこともあります。



















真榊(まさかき)

榊と鈴を持って舞います。

















八咫烏(やたがらす)

神武天皇は、日向の高千穂の宮に住んでいましたが、東方に天下を治める都を造るために、大和に向かいました。

このとき、和歌山県の熊野と吉野の山中を進んでいくときに、天から道案内をさせるために派遣された大きなカラス(八尺・およそ2m40cm)が、八咫烏です。

通常、3本の足を持つカラスです。














天鈿女舞(あまのうずめ)・宇豆女


天岩屋戸(あまのいわと)の前で、ストリップまがいの踊りをして、天照大神(あまのてらすおおみかみ)を、岩戸から引っ張りだすのに貢献した神様です。

猿田彦の妻でもあります。
















注連(しめ)

神社に張られている注連縄(しめなわ)は、神の領域と人間の領域の境界線を表しています。

注連舞は、
注連の起源を唱え、その徳を讃え不浄を入れないと共に清浄を保ち諸々の災・厄を祓う舞です。















湯立(ゆだち)

篠竹を四方に立て、注連縄を張り巡らします。

その中に祭壇と釜を置き、湯を沸かし、お祈りをします。

青笹で参拝人に熱湯を振りかけ、無病息災を祈願します。

お湯がかかった人は、その年は無病息災で暮らせるということです。












弥散供米舞(やちくま)


最初、扇を持って舞います。

次に三方に盛った米をまきます。

その後、鈴と扇を持って舞います。

剣の霊で、悪霊を切り払い、米をまくことで、諸々の邪気を払うという神楽です。

この神楽で、今年が終わります。