壱岐島四国八十八カ所霊場
壱岐島四国八十八カ所霊場とは |
壱岐島四国八十八カ所霊場は、本場の四国霊場八八番札所に、お参りできない方のために、壱岐の各地のお寺に置かれた札所をいいます。
中心になっているお寺は、勝本町にある金蔵寺です。
八十八という数字は、男の厄年42歳、女の厄年33歳、それに子供から大人になる13歳を足したものです。
厄除けをして、無病息災を祈るという、巡礼は、弘法大師の命日である、旧暦の3月21日を中心に行なわれます。
出発点は金蔵寺、終点は能満寺です。
金蔵寺は、正面に、白山権現と呼ばれる、行場があり、急に切り立った崖や、鉄のはしご、鉄鎖があります。
壱岐には、霊場が、現在、番外や奥之院、などを合わせると、300箇所以上もあります。
中原慈本 |
壱岐島四国八十八カ所霊場は、明治26年、中原慈本(じほん)という、弘法大師の熱心な信者と、その協力者によって造られました。
慈本は、山口県の出身で、明治24年の春、壱岐を訪れた時に、次のような夢を見ました。
「昔、この島にあった、神岳山本宮寺が、廃仏毀釈のとき廃寺となってしまった。この神岳山を復興し、それと同時に、壱岐島四国八十八カ所霊場を開創してほしい」というものでした。
慈本は、昔、本宮寺があった勝本町新城西に草庵を結んで住み、島内の熱心な弘法大師信者13名の協力を得て、活動を開始しました。
島内のお寺に弘法大師巡礼の必要性を話して、説得して札所にしてもらい、また、お寺のないところには新しく堂や庵を建てました。
その結果、2年間で、お寺に19ヶ所、新築したお堂と庵69ヶ所を作りました。
その後、壱岐で、自ら巡拝を続けるとともに、島内の一般の人たちにも熱心に巡礼を呼びかけました。
明治26年、慈本は、巡拝の途中、箱崎で、急病にかかり、森島家で急死しました。
信者達は、慈本が亡くなった場所に慈本堂を建立し、霊を祀りました。
また、慈本の草庵があった本宮寺跡に、本宮寺の末寺であった金蔵寺を移転して、神岳山金蔵寺として、「神岳山」を復興しました。
金蔵寺の本堂から大師堂へのぼる参道の途中に、慈本行者の等身大の石像が立っています。
第1番 神岳山 金蔵寺 |
金蔵寺 真言宗
本尊 釈迦如来
仏教の始祖で、紀元前5~4世紀頃の実在の人物です。
釈迦族の王子として生まれ、29歳で出家しました。
生まれた直後に、7歩いて、右手で天を指し、左手で地を指して、「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と言ったということです。
「天上天下唯我独尊」とは、一人ひとりが、みんな違っていて、それぞれが、聖なる目的(使命)を持って、この世に生まれてきた、という意味です。
35歳のとき、苦行では悟りを得ることはできないと考え、菩提樹の下で瞑想に入り悟りを開きました。
御詠歌 霊山の 釈迦の御前に めぐりきて、よろずの罪も 消えうせにけり
零山にある、釈迦の前で、念仏を唱えると、前世でつくったいろいろな罪が、消えてしまい、清らかなけがれのない身になります。
第2番 阿弥陀堂 |
本尊 阿弥陀如来
インドの王子として生まれ、は四十八の願をかけて、厳しい修行をして、悟りを開き、如来になりました。
「念仏を行う者は必ず極楽浄土へ行ける」と説き、「無量寿如来」とか「無量光如来」とも呼ばれています。
阿弥陀如来の念仏は、「南無阿弥陀仏」、「ナンマンダブ」です。
阿弥陀如来は、極楽浄土から我々を見守り、全ての人を極楽浄土に導く仏様です。
御詠歌
極楽の 弥陀の浄土へ生きたくば、南無阿弥陀仏 口ぐせにせよ
いいですねぇ。
ただ、南無阿弥陀仏と唱えるだけで、極楽浄土に行くことができるのでよ。
第3番 岩熊堂 |
本尊 地蔵菩薩
お堂の中にいるというよりも、道端や、田畑の端に置いてある仏です。
「とげ抜き地蔵」、「イボ取り地蔵」、「子育て地蔵」、「子安地蔵」、「安産(腹帯)地蔵」、「田植え地蔵」、「裸地蔵」、「身代わり地蔵」、「縛り地蔵」、「延命地蔵」、「勝軍地蔵」、「水子地蔵」など、たくさんあります。
御詠歌
極楽のたからの池を思えただ、黄金の泉澄みたたえたる
第4番 寺原田堂 |
本尊 地蔵菩薩
お堂の中にいるというよりも、道端や、田畑の端に置いてある仏です。
「とげ抜き地蔵」、「イボ取り地蔵」、「子育て地蔵」、「子安地蔵」、「安産(腹帯)地蔵」、「田植え地蔵」、「裸地蔵」、「身代わり地蔵」、「縛り地蔵」、「延命地蔵」、「勝軍地蔵」、「水子地蔵」など、たくさんあります。
御詠歌
眺むれば 月白妙の 夜半(よわ)なれや、ただ黒谷に 墨染めの袖
四方を眺めると、月は明るく澄み渡っている。黒染めの衣を、はおる人はいないが、ここ黒谷には、墨染めの、法衣が、あちこちに見えます。
第5番 東光寺 |
臨済宗
どっしりとした構えの、立派なお寺です。
全体が、墨色で統一され、堂々としています。
本尊 阿弥陀如来
インドの王子として生まれ、は四十八の願をかけて、厳しい修行をして、悟りを開き、如来になりました。
「念仏を行う者は必ず極楽浄土へ行ける」と説き、「無量寿如来」とか「無量光如来」とも呼ばれています。
阿弥陀如来の念仏は、「南無阿弥陀仏」、「ナンマンダブ」です。
阿弥陀如来は、極楽浄土から我々を見守り、全ての人を極楽浄土に導く仏様です。
御詠歌 六道の 能化(のうけ)の地蔵 大菩薩、導き給え この世後の世
六道とは、地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間、天上の世界のこと。
六道で、迷い苦しんでいる人々を救ってくれる、能家(地名)の地蔵様、我々が住んでいるこの世でも、また、後の世でも、どうか救って、導いてください。
第6番 高尾堂 |
本尊 薬師如来
人々の病気を治してくれる如来で、左手に薬壺を持っています。
右手を上げているのは、心配している心を取り除き、安心させるためです。
痛いところへすぐ右手を持っていく、習慣がありますが、これが「手当て」と、呼ばれるものです。
御詠歌
かりの世に 知行争う むやくなり、安楽国の 守護をのぞめよ
かりそめにに住んでいるこの世で、金や財産の事で争うのはなんのとくにもならない。死んで持っていくことはできない。
争い事などやめて、極楽浄土に行くことだけを、考えなさい。
そうは言われても、やはり、老後のために、お金は必要ですよねぇ。
でも、お金が大事だと思うことじたいが、修業がたりないということですね。
私は、いつも、妻から、お金が足りない、お金が足りない、もっと、仕事をしなさい、と、言われ続けております。
弘法大師様、お慈悲をください。
第7番 甚願田堂 |
本尊 弘法大師
弘法大師・空海は、平安時代、香川県、善通寺で生まれました。
諸国を巡り、人々の苦しみや悩みを解決したり、ため池を修築したり、各種の土木工事を指導したり、文化の恩恵を受けない大衆のために、綜芸種智院を開き、貴族や金持ちではなく、一般民衆を対象に、教育をしています。
御詠歌
人間の 八苦(はっく)を早く 離れなば、到らんかたは 九品十楽(くぼんじゅうらく)
人間が持っている、八つの苦しみから早く解放されたら、行く所は、九品の浄土十種の楽しみがある、極楽浄土に行くことができます。
八苦とは、肉体の四つの苦しみ(生きている苦、年老いる苦、病気の苦、死ぬ苦)と、精神上の苦(別れの苦、怨み・憎しみに会う苦、求めるものを手に入れることができない苦、心身の苦)をいいます。
九品とは、往生のしかたで、極楽浄土にある九つの等級をいいます。
上品・中品・下品の3つに、それぞれ、上生・中生・下生を組み合わせたものです。
十楽とは、極楽浄土にある十の楽しみをいいます。
第8番 長尾堂 |
本尊 千手観世音
本当に千本の手をがあるものも有りますが、多くは、42本の手で代用しています。
それぞれの手に目が有ります。
無限の慈悲で人間以外の生き物も全て救います。
顔は十一面あります。
御詠歌
薪(たきぎ)とり水熊谷(みずくまだに)の寺に来て、難行するも後の世のため
水熊谷の寺に来て、たきぎをとったり、水を汲んだりして苦労するのは、極楽浄土に行くための苦労なので、十分、励みなさい。
第9番 阿弥陀堂 |
本尊 阿弥陀如来
インドの王子として生まれ、は四十八の願をかけて、厳しい修行をして、悟りを開き、如来になりました。
「念仏を行う者は必ず極楽浄土へ行ける」と説き、「無量寿如来」とか「無量光如来」とも呼ばれています。
阿弥陀如来の念仏は、「南無阿弥陀仏」、「ナンマンダブ」です。
阿弥陀如来は、極楽浄土から我々を見守り、全ての人を極楽浄土に導く仏様です。
御詠歌
大乗の 誹謗(ひぼう)もとがも ひるがえし、転法輪(てんぼうりん)の 縁とこそきけ
第10番 向町堂 |
本尊 千手観世音
本当に千本の手をがあるものも有りますが、多くは、42本の手で代用しています。
それぞれの手に目が有ります。
無限の慈悲で人間以外の生き物も全て救います。
顔は十一面あります。
御詠歌 欲心をただ一筋に切幡寺(きりはたじ)、後の世までの障りとぞなる
第11番 長徳寺 |
曹洞宗
ここにある、阿弥陀如来立像は、廃寺となった暦応寺の本尊で、平安時代末期に、製作されたものです。
本尊 薬師如来
人々の病気を治してくれる如来で、左手に薬壺を持っています。
右手を上げているのは、心配している心を取り除き、安心させるためです。
痛いところへすぐ右手を持っていく、習慣がありますが、これが「手当て」と、呼ばれるものです。
御詠歌 色も香も
無比中道の
藤井寺、真如の波の
たたぬ日もなし
まったく、その通りでございます。
第12番 中尾堂 |
本尊 阿弥陀如来
インドの王子として生まれ、は四十八の願をかけて、厳しい修行をして、悟りを開き、如来になりました。
「念仏を行う者は必ず極楽浄土へ行ける」と説き、「無量寿如来」とか「無量光如来」とも呼ばれています。
阿弥陀如来の念仏は、「南無阿弥陀仏」、「ナンマンダブ」です。
阿弥陀如来は、極楽浄土から我々を見守り、全ての人を極楽浄土に導く仏様です。
御詠歌
後の世を 思へば恭敬(くぎょう) 焼山寺(しょうさんじ)、死出や三途の 難所ありとも
焼山寺に行くには、山は高く、坂は険しく、難儀な場所だが、死んでから行く死出の山(人が死んだら行くという、冥途にある険しい山)と、三途の川という、難儀な場所の事を思えば、大変なことはないのです。
死んでからも、苦労しなければいけないのですねぇ。
第13番 倉本堂 |
本尊 十一面観世音
その名の通り、顔が11個あります。
11個の顔があるので、全ての方向を見ることができて、いろんな所で、苦しんでいる人を、多く発見し、救い出すことができます。
左手に蓮華をさした、水瓶を持っています。
前3面は、穏やかな顔をした菩薩面、左3面は、悪人をこらしめる分怒面、右3面は、優しい顔をしている狗牙上出面、後一面は大笑いしている大笑面、頂上は人に仏道の教えを説く仏面となっています。
各面には阿弥陀仏の宝冠がついています。
御詠歌
阿波の国 一の宮とや ゆうだすき、かけてたのめや この世後の世
「ゆうだすき」とは、木綿のたすきのこと。
第14番 円福寺 |
本尊 釈迦如来
仏教の始祖で、紀元前5~4世紀頃の実在の人物です。
釈迦族の王子として生まれ、29歳で出家しました。
生まれた直後に、7歩いて、右手で天を指し、左手で地を指して、「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と言ったということです。
「天上天下唯我独尊」とは、一人ひとりが、みんな違っていて、それぞれが、聖なる目的(使命)を持って、この世に生まれてきた、という意味です。
35歳のとき、苦行では悟りを得ることはできないと考え、菩提樹の下で瞑想に入り悟りを開きました。
御詠歌
常楽の 岸にはいつか いたらまし、弘誓(ぐぜい)の船に 乗り遅れずば
極楽の世界をめざして、懸命に漕いで行けば、弘誓の船に乗り遅れることなく、仏様が導いてくれ、極楽浄土に着くことができます。
「常楽の岸」とは、苦しみのない理想の世界、極楽浄土のこと。
「
「弘誓の船」
第15番 大石堂 |
本尊 薬師如来
人々の病気を治してくれる如来で、左手に薬壺を持っています。
右手を上げているのは、心配している心を取り除き、安心させるためです。
痛いところへすぐ右手を持っていく、習慣がありますが、これが「手当て」と、呼ばれるものです。
御詠歌
薄く濃く わけわけ色を 染めぬれば、流転生死の 秋のもみじ葉
秋の紅葉は、薄いものもあり、また、濃いものもあります。それと同じように、人間も、死んだり、生きたりを繰り返し、六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の世界)を次々と巡ります。
第16番 天徳寺 |
曹洞宗
本尊 千手観世音
本当に千本の手をがあるものも有りますが、多くは、42本の手で代用しています。
それぞれの手に目が有ります。
無限の慈悲で人間以外の生き物も全て救います。
顔は十一面あります。
御詠歌 忘れずも 導きたまへ 観音寺、西方世界 弥陀の浄土へ
観音様へ。私のことを忘れないで、西方にある極楽浄土に導いてくださるよう、お願い申し上げます。
第17番・19番天神川 |
本尊 地蔵菩薩
お堂の中にいるというよりも、道端や、田畑の端に置いてある仏です。
「とげ抜き地蔵」、「イボ取り地蔵」、「子育て地蔵」、「子安地蔵」、「安産(腹帯)地蔵」、「田植え地蔵」、「裸地蔵」、「身代わり地蔵」、「縛り地蔵」、「延命地蔵」、「勝軍地蔵」、「水子地蔵」など、たくさんあります。
御詠歌
いつかさて 西の住居の わが立江、弘誓(ぐぜい)の船に 乗りていたらん
いつかは、寿命が来るので、そのときは、西にある、極楽浄土の我が館に、 弘誓の船に乗って、行きましょう。
「立江」とは、立江寺のことだが、ここでは、「舘」、つまり家。
今までは、第17番札所は、阿弥陀堂で、第18番の種徳院と同じ場所にありましたが、なぜか、今は、第19番の天神川に併合されています。
阿弥陀如来は、どこにいったのでしょうか?
第18番 種徳院 |
本尊 釈迦如来
仏教の始祖で、紀元前5~4世紀頃の実在の人物です。
釈迦族の王子として生まれ、29歳で出家しました。
生まれた直後に、7歩いて、右手で天を指し、左手で地を指して、「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と言ったということです。
「天上天下唯我独尊」とは、一人ひとりが、みんな違っていて、それぞれが、聖なる目的(使命)を持って、この世に生まれてきた、という意味です。
35歳のとき、苦行では悟りを得ることはできないと考え、菩提樹の下で瞑想に入り悟りを開きました。
ここに祀ってある阿弥陀像は、昔芦辺の浜に流れ着いたものだといいます。
あるとき、この像を修理するために、大阪行きの船に積んだところがその日から、大しけになって出航できません。
ある晩船頭の夢の中に、阿弥陀様が現れて、「大阪にやらないでくれ。大阪に行ったら腕をもぎ取られて、すり替えられるおそれがある」といいました。
像を船から降ろすと、しけはぴたりとおさまった、ということです。
古い本に、次のような文があります。
(文1)
種徳院の跡地には、大豆を植えても実がならない。
(文2)
昔、泥棒が、ここに安置されていただるまを盗もうとした。
だるまを背負って石段を下ろうとしたが、いつまで降りても下に着かない。
とうとう夜が明けてしまった。
(文3)
ある者が、石段を盗み、平戸で売った。
ところがその石は何度積んでも波に流され、とうとう石積みが完成しなかった。
(文4)
ある者が本尊を盗んで、自宅の天井裏に隠した。
そして人を集めて「本尊様がない」と叫んだ。
人々が大騒ぎして捜し始めた時「ここにあるぞ」といって、出して見せた。
その人はまもなく死に、家族も目が見えなくなった。
御詠歌
子を産める その父母の 恩山寺、訪(とぶら)いがたき ことはあらじな
私を生んで、育ててくれた父と母。その恩を忘れないように、父母が生きているうちは訪ね、また、亡くなったら、弔うことは、当然のことです。
第20番 桶川堂 |
本尊 地蔵菩薩
お堂の中にいるというよりも、道端や、田畑の端に置いてある仏です。
「とげ抜き地蔵」、「イボ取り地蔵」、「子育て地蔵」、「子安地蔵」、「安産(腹帯)地蔵」、「田植え地蔵」、「裸地蔵」、「身代わり地蔵」、「縛り地蔵」、「延命地蔵」、「勝軍地蔵」、「水子地蔵」など、たくさんあります。
御詠歌 しげりつる 鶴の林を しるべにて、大師ぞいます 地蔵帝釈
こんもりと茂った林に囲まれている鶴林寺。その林をしるべに、地蔵菩薩と帝釈天に囲まれて、弘法大師がいます。
「鶴の林」は、鶴林寺のこと。
第21番 長瀬堂 |
本尊 十一面観世音
その名の通り、顔が11個あります。
11個の顔があるので、全ての方向を見ることができて、いろんな所で、苦しんでいる人を、多く発見し、救い出すことができます。
左手に蓮華をさした、水瓶を持っています。
前3面は、穏やかな顔をした菩薩面、左3面は、悪人をこらしめる分怒面、右3面は、優しい顔をしている狗牙上出面、後一面は大笑いしている大笑面、頂上は人に仏道の教えを説く仏面となっています。
各面には阿弥陀仏の宝冠がついています。
御詠歌 太龍の 常にすむぞや げに岩屋、舎心聞持(しゃしんもんじ)は 守護のためなり
「舎心嶽」という岩屋に、大きな龍がいつも住んでいて、人々を困らせていたので、弘法大師が、岩屋に閉じ込めました。
その後、「舎心嶽」という岩屋で、身を捨てて、求聞持の修業(ぐもんじほう・記憶力増進のための修業)をしました。
その修業は、閉じ込めた太龍のためだった、といいます。
第22番 小坂大師堂 |
本尊 釈迦如来
仏教の始祖で、紀元前5~4世紀頃の実在の人物です。
釈迦族の王子として生まれ、29歳で出家しました。
生まれた直後に、7歩いて、右手で天を指し、左手で地を指して、「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と言ったということです。
「天上天下唯我独尊」とは、一人ひとりが、みんな違っていて、それぞれが、聖なる目的(使命)を持って、この世に生まれてきた、という意味です。
35歳のとき、苦行では悟りを得ることはできないと考え、菩提樹の下で瞑想に入り悟りを開きました。
御詠歌
平等に 隔てのなきと 聞く時は、あら頼もしき 仏とぞみる
第23番 棚江堂 |
本尊 不動明王
一般に、「お不動さん」の名前で親しまれています。
不動明王は、目を怒らせ、とても恐ろしい顔をしていますが、それは、仏法に従わない者を、無理矢理に救済するためです。
右手には、三鈷剣、左手には、投げ縄、背には、三毒を喰らい尽くす伝説の火の鳥の形をした炎を背負っています。
目は、右眼を見開き左眼をすがめるか、右眼で天、左眼で地を睨んでいます。
牙もあり、右の牙は上方、左の牙は下方を向いています。
一切の人々を救うまではここを動かない、と決意しているかのようです。
御詠歌
皆人の 病みぬる年の 薬王寺、瑠璃の薬を 与えまします
第24番 龍泉寺 |
曹洞宗
本尊 観音菩薩
困っている人、悩んでいる人を、すばやく見つけ、救済してくれる仏です。
聖観音、 千手観音、十一面観音、如意輪観音、馬頭観音、准胝観音などがあります。
御詠歌
明星の 出ぬる方の 東寺、暗き迷は などかあらまじ
明星は、東の方向から出ます。その明星の出る方向にある東寺には、どうして、暗い迷いがあるでしょうか。迷いはありません。
第25番 八幡堂 |
本尊 地蔵菩薩
お堂の中にいるというよりも、道端や、田畑の端に置いてある仏です。
「とげ抜き地蔵」、「イボ取り地蔵」、「子育て地蔵」、「子安地蔵」、「安産(腹帯)地蔵」、「田植え地蔵」、「裸地蔵」、「身代わり地蔵」、「縛り地蔵」、「延命地蔵」、「勝軍地蔵」、「水子地蔵」など、たくさんあります。
御詠歌
法の船 入るか出るか この津寺、迷う吾身を のせてたまえや
我々を救ってくれる法の船は、この津(港)に入って来るのか、出ていくのか分からないが、法の船が出入りするなら、どうか、今、迷っている、私たちを乗せてください。
第26番 須気大師堂 |
本尊 地蔵菩薩
お堂の中にいるというよりも、道端や、田畑の端に置いてある仏です。
「とげ抜き地蔵」、「イボ取り地蔵」、「子育て地蔵」、「子安地蔵」、「安産(腹帯)地蔵」、「田植え地蔵」、「裸地蔵」、「身代わり地蔵」、「縛り地蔵」、「延命地蔵」、「勝軍地蔵」、「水子地蔵」など、たくさんあります。
御詠歌
往生に 望みをかける 極楽は、月のかたむく 西寺のそら
だれもが、極楽往生を願っている。その極楽は、月が傾いている、西の方にあるのです。
第27番 塔ノ辻大師堂 |
本尊 十一面観世音
その名の通り、顔が11個あります。
11個の顔があるので、全ての方向を見ることができて、いろんな所で、苦しんでいる人を、多く発見し、救い出すことができます。
左手に蓮華をさした、水瓶を持っています。
前3面は、穏やかな顔をした菩薩面、左3面は、悪人をこらしめる分怒面、右3面は、優しい顔をしている狗牙上出面、後一面は大笑いしている大笑面、頂上は人に仏道の教えを説く仏面となっています。
各面には阿弥陀仏の宝冠がついています。
御詠歌
み仏の 恵みの心 神峯(こうのみね)、山も誓ひも 高き水音
仏様の、誓いの心は、険しい山の神峰のようです。この神の峰は、険しく、高く、そこに流れている清水も、心地よい音を立てて流れています。
第28番 薬師堂 |
本尊 大日如来
真言宗にのみ出てくる特殊な如来です。
すべての仏像は、大日如来が、時と場所を超えて変化した姿とされています。
観世音菩薩、地蔵菩薩、不動明王なども、すべて、大日如来の化身です。
曼荼羅(まんだら)は、宇宙の構図を現わしたもので、大日如来を中心に描かれています。
如来は、何も装飾を身につけませんが、大日如来は例外で、宝冠や腕輪などの飾りを身につけています。
御詠歌
露霜と 罪を照らせる 大日寺、などか歩みを 運ばざらまし
露や霜、罪も、大日如来様の光に照らされれば、知らないうちに、いつかは、溶けてしまいます。だから、足を運んで、必ず、お参りしたいものです。
第29番 中尾堂 |
本尊 千手観世音
本当に千本の手をがあるものも有りますが、多くは、42本の手で代用しています。
それぞれの手に目が有ります。
無限の慈悲で人間以外の生き物も全て救います。
顔は十一面あります。
御詠歌
国を分け 宝を積みて 建つ寺の、末の世までの 利益(りやく)のこせり
聖武天皇の勅で、宝を積んで、建てられた国分寺。このお寺は、今に至るまで、みんなに、御利益を施してくれます。
「国を分け」は、国分寺のこと。
第30番 安国寺 |
臨済宗
本尊 地蔵菩薩
お堂の中にいるというよりも、道端や、田畑の端に置いてある仏です。
「とげ抜き地蔵」、「イボ取り地蔵」、「子育て地蔵」、「子安地蔵」、「安産(腹帯)地蔵」、「田植え地蔵」、「裸地蔵」、「身代わり地蔵」、「縛り地蔵」、「延命地蔵」、「勝軍地蔵」、「水子地蔵」など、たくさんあります。
御詠歌
人多く 立ち集まれる 一の宮、昔も今も 栄えぬるかな