壱岐の左京鼻



左京鼻


断崖絶壁

この断崖は壱岐の代表的な景勝地の1つで左京鼻といいます。

八幡半島のほぼ先端にあり、前の海は玄界灘です。

ここに立って下を見ると、隣の人に思わず抱きつきたくなるような足もすくむような高さがあります。

写真の一番先端まで、身軽な人は渡ることができます。

抱きつかれてみたい人とここに来たら、その後、いろいろなドラマが展開することでしょう。

素材は玄武岩で、玄武岩の特色の1つである柱状節理が発達したものです。

沖の方では元寇の合戦で沈没した船の碇石(いかりいし)が発見されています。





海女さん

又、この周辺の海は海産物が豊富なところで、海女さんたちが素潜りの漁をしている場所でもあります。

ウニ、アワビ、サザエ、カジメなど、たくさんの海の幸に、思わずよだれが出そうなものばかりです。




干ばつ

ここに1つのエピソードがあります。

江戸時代の初め、壱岐は大干ばつに襲われました。

雨が長い間降らず、作物も枯れてしまい、人々は苦しんでいました。

そこで、2人の人が雨乞いをすることになりました。

1人は、陰陽師の後藤左京和尚で、ここ八幡半島の突端で雨乞いをしました。

もう1人は、龍蔵寺の日峰和尚で、芦辺浦にある芦辺の辻で、雨乞いを行いました。

2人は、一心に雨乞いの祈祷を7日7夜行いました。

しかし、それでも雨は降りません。

責任を感じた左京和尚はこの左京鼻の崖から飛び込もうと席を立ち上がりました。

また、座禅をしていた日峰和尚も周囲にあった火をつけられた千把の麦わらの中で焼身自殺をしようとしました。

と、その時、一転にわかにかき曇り、突然車軸を洗うような大雨が降り出し、村中の人々が喜んだということです。

この祈祷のとき、日峰和尚が着ていた、焼け焦げた袈裟が龍蔵寺にあります。

左京鼻という名前は、後藤左京和尚の名前から来ています。


地震

右の写真は、左京鼻の海上にある観音柱と呼ばれているものです。

玄武岩の柱状節理が発達したものです。

かつて、神様が壱岐の島をつくったとき、島が流されてしまわないように、壱岐の島の周辺に8本の柱をつくり、その柱に縛り付けました。

ここにある観音柱はその中の1本です。

最近までは、頂上に2本の柱が立っていましたが、玄海沖地震のために1個が崩れてなくなってしまいました。

石の表面はウミウのふんで真っ白になっています。

でも、遠くから見ると鳥のふんとは思えないほど、海の青さ、岩の黒さとマッチしていてとても感動させられます。