壱岐の與神社・深江神社


壱岐の與神社・深江神社 

祭神

祭神は伊弉册命(いざなぎのみこと)、大國魂命(おおくにたまのみこと)です。

大國魂命は、別名大国主神(おおくにぬしのかみ)、大穴牟遅神(おおなむぢ)、大己貴命(おほなむち)ともいいます。

いつ出来たかは分りません。

摂社  比売神社

末社  稲荷神社、清水神社
















鳥居

石鳥居は、江戸時代、万治二己亥年に造られました。

右側には、平戸藩主松浦鎮信の銘があります。














灯籠

向って右側の燈籠は江戸時代、左側の燈籠は大正時代に造られています。

どっしりとした安定感があります。

後にある小さな燈籠は、文字がはっきりしませんが、江戸時代のものと思われます。








深江神社

深江神社の旧号は、深江大明神、「とのみや・姫大明神」です。

社地の名も、止乃美夜といいます。


「與神社」の「與」は、「と」と読む事が出来るので、式内社の「與神社」は、ここ深江神社だと言われています。

橘三喜は、「興神社」の「興」は「與」が正しいと考え、興神社を式内社の與神社に推定しました。

しかし、この推定は、間違いだと言われています。

深江神社は、山方にある「とのみや」で、志原にある彌佐支刀神社は、「みさきとのみや」と呼ばれています。

古代、彌佐支刀神社の周辺は、壱岐を東西に分ける程の大湿地帯で、彌佐支刀神社はその湿地帯の岸にありました。


「との宮」というのは、その沼を渡る場所に祀られた神を鎮座した場所で「渡宮・トノ宮」と書きます。


深江神社は山方の、彌佐支刀神社は海方の、「とのみや」で、両神社は、一対と考えられています。








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