壱岐の疱瘡神社
壱岐の疱瘡神社 |
疱瘡とは |
疱瘡は、奈良時代や江戸時代に大流行した伝染病です。
疱瘡の症状は、まず突然高熱が出て、顔や体中に発疹が出きます。
その後、その発疹が水ぶくろになり、やがて、痂(かさぶた・かさ)が出来、最後に水ぶくろやかさぶたが崩れて、目も当てられないようなあばた顔になります。
ひどい時には死に至ることもあります。
死に至らなくても、あばた(痘痕)顔になり、女性は一生結婚できなかったり、瞽女(ごぜ・三味線を弾き唄を歌って銭を乞う盲目の女性)となったりします。
武士が疱瘡にかかり、世継が死亡したためにお家断絶となったケースや、
川柳に「痘神(いもがみ)に惚れられて娘値が下がり」とか「ほうそうは器量定め」などがあります。
祭神 |
この疱瘡神社の祭神は、八十抂津日神、神直日神以下25神です。
石祠 |
石祠には、1700年(元禄13)、1712年(正徳2)、1713年(正徳3)の3つの年号が刻まれています。
刻まれている各年に疱瘡が流行ったという事でしょうか、それともこの年に石祠の修理をしたというでしょうか、どちらか分かりません。。
壱岐にある石祠では最大です。
石祠の扉には次のように書かれています。
正面右扉の内側
奉再建辛夘年本願主長村□、奉再興壬辰年本願主古川□、此白正徳2年2月14日施主敬白
正徳3年(1712年)6月14日、吉川八ヱ門
正面左扉の内側
元禄13年11月吉日、祠官、吉野数之進
正面右扉の外側
奉送神
相撲 |
盆には、相撲を奉納します。
対処方法 |
それでは、疱瘡が流行り出すと、みんなはどんな事をしたのでしょうか。
江戸時代は、疱瘡に対する治療法や特効薬はないので、人々は疱瘡が流行り出すと、「疱瘡絵」を家に貼って、疱瘡神として祈り、疱瘡にかからないよう願いました。
江戸時代、疱瘡絵は、赤一色で描かれています。
赤色は、病気を追い払う力があると信じられていたからです。
絵には、疱瘡神が近づかないように、金太郎や桃太郎、鎮西八郎為朝、といった悪鬼を追い払う強い者が描かれました。
右の絵のうち、犬が桃太郎に向かっている絵には、「疱瘡は日本一のきびだんご お礼参りのお供(とも)もうさん」とあります。犬は「去ぬ(いぬ)」で、疱瘡が去ぬ(立ち去る)ことを意味しています。
もう一つの絵は、鎮西八郎為朝が疱瘡神を追い払っている所です。
この当時は、ただおまじないをして、祈るだけが対処方法でした。
又、疱瘡にかかった人には、「赤牛の歯を粉にして飲ませる」とか、「ぬるめの脂(やに)を乳でとき、目の中に少しさす」とか、していました。
壱岐のその他の疱瘡神社 |
壱岐には、疱瘡神社の他に、疱瘡神を祀っている神社があります。
山浦神社、寄八幡神社、月読神社、国津意加美神社境内にある疱瘡神社です。