壱岐の山浦神社
山浦神社 |
祭神 |
祭神は、伊弉册尊(いざなみのみこと)、事解男命(ことさかおのみこと)、速玉男命(はやたまおのみこと)の熊野三神です。
相殿 北山権現、伊弉諾尊、疱瘡神、八十狂津日(やそまがつひ)命、大綾津日(おおまがつひ)神、神直日(かみなほひ)、大直日神(おおなほひ)、海童三神、住吉3神、 磐土命、底土命赤土命、大地海原諸神がいます。
由来 |
古くは、山浦三所大権現と呼ばれていました。
建てられた年数は不明ですが、文明18年以前、室町時代・戦国時代の創立です。
鳥居 |
この見事な石鳥居は、元禄4年(1691)辛未3月建立されています。
笠木は3本継ぎ、貫は3本継ぎ、柱は2本継ぎ、額は山浦大権現となっています。
燈籠 |
燈籠は、いずれも、江戸時代、文政年間、天保年間に造られています。
拝殿 |
苔むした107段の長い階段を上り切ると拝殿と本殿があります。
大木 |
周辺にはスギ、クス、スダジイの大木があり、うっそうとした森林になっています。
周辺 |
この神社のある丘陵一帯には、中世に白石城、立石城と呼ばれていた古城址があります。
永禄年間には松浦肥前守誠信の家臣の牧山徳右衛門もこの城に住んでいました。
山浦神社は、ここに住んでいた城主や国司、守護職の鎮守神となっていました。
そういうところから、社殿造営やその他の建築費用はすべて、壱岐の島民の負担で賄われています。
全島民が造営費を出した神社には、他に、天手長男神社、八幡浦の寄八幡神社、新城神社があります。
天正11年11月、戦国時代、社殿を再建したときには、壱岐守護職日高喜も助成しています。
木像 |
本殿にある左大臣、右大臣の木像も年代を感じさせます。
山の頂上にあることと、周辺が木々に囲まれ日当たりも悪いので、扉も苔むしています。
このまま放置すると、後何年も持たないでしょう。