壱岐の與神社・深江神社
壱岐の與神社・深江神社 |
祭神 伊弉册命(いざなぎのみこと)、大國魂命(おおくにたまのみこと)です。
大國魂命は、別名大国主神(おおくにぬしのかみ)、大穴牟遅神(おおなむぢ)、大己貴命(おほなむち)ともいいます。
深江神社の旧号は、深江大明神、「とのみや・姫大明神」です。
社地の名も、止乃美夜といいます。
「與神社」の「與」は、「と」と読む事が出来るので、式内社の「與神社」は、ここ深江神社だと言われています。
橘三喜は、「興神社」の「興」は「與」が正しいと考え、興神社を式内社の與神社に推定しました。
しかし、この推定は、間違いだと言われています。
深江神社は、山方にある「とのみや」で、志原にある彌佐支刀神社は、「みさきとのみや」と呼ばれています。
古代、彌佐支刀神社の周辺は、壱岐を東西に分ける程の大湿地帯で、彌佐支刀神社はその湿地帯の岸にありました。
「との宮」というのは、その沼を渡る場所に祀られた神を鎮座した場所で「渡宮・トノ宮」と書きます。
深江神社は山方の、彌佐支刀神社は海方の、「とのみや」で、両神社は、一対と考えられています。
勧請年数は不明です。
石鳥居は、江戸時代、万治二己亥年に造られました。