壱岐の田中触の薬師如来像
田中触(たなかふれ)の薬師如来像 |
お堂全体は、何のへんてつも無い普通のつくりですが、一歩、中に入って、如来様のお姿を見ると、その荘厳さに圧倒されます。
木彫りで、玉眼(ぎょくがん)、寄木造りです。
薬師如来なので、右手に掌(たなごころ)、左手に薬壷を持っています。
中央仏師の恵心僧都の作といいますが詳細は不明です。
定朝(じょうちょう)様式で平安時代後期(1057〜1192)のものです。
定朝様式というのは、平安時代の代表的な仏師の定朝がつくった、王朝貴族の好みにかなった豊麗な日本式の仏像をいいます。
定朝がつくった和風の仏像は定朝様式として、長く日本の仏像の典型となりました。
江戸時代(天明7年、1787)に大がかりな修理が行われ、柳田村の山口磯右衛門が私財を投入して平戸の仏師檜垣茂衛を呼んで修復させました。
本尊はもとは薬師堂の背後にあった全焼した薬城寺(やくじょうじ)の持仏でしたが、薬師如来は偶然にも草間に転がり出ていて無事だったといいいます。
天明の時代から200年を経た今、さすがに金箔は剥落し、全体に傷みがひどくなっています。
鉄釘を使用して修理したので、長い期間の保存は無理なようで、今では相当いたんでいます。
現在壱岐には、平安期の仏像は3体しかなくそのうちの1体です。
眼病、耳の病気に効き目があります。
「め」「耳」の字を百字書いて上げるとか、年の数だけ書いてお参りすれば効果があります。
穴のある小石も吊るして上げます。
近くにある檀家で清掃をしたり供養をしたりしています。
各地から参りに来ますが、高齢化のために、檀家の数も減っています。