壱岐の手長比賣神社 小社

手長比賣神社 小

祭神  栲幡千々姫命(たくはたちぢひめのみこと)、天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)


延宝4年(1676)の式内社改め以前は、手長男大明神とか棚川大明神と呼ばれ、神功皇后を祀っていました。


延宝4年(1676年)式内社改めのとき、橘三喜が、「棚川(たなごう)大明神」という名前から、式内社の手長姫神社としました。

本来の式内社の手長姫神社は、勝本浦の「聖母宮」と、推測されています。


昔、本宮八幡神社の神様と手長姫神社の神様が、手長川の川上に立ち、石つぶてを投げて祭壇の広さを競いました。

八幡様が投げた石は遠くまで飛び、手長姫様が投げた石は、近くの榎にあたって跳ね返り、足元に落ちてしまいました。

このため、八幡神社の祭田は広いものとなりましたが、手長姫神社の祭田は一反5畝という狭いものになってしまいました。


このときの、石つぶてが今でも田の中にある、といいます。


御利益 ⇒ 縁結び





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