壱岐の鏡岳神社


鏡岳神社


320段

初瀬(はぜ)漁港のそばに高さ50mほどの鏡岳という山があって、その山の頂上にあります。

写真の向かって左側が、神社のある鏡岳です。

この湾は初瀬湾(はぜわん)といって、落ち着いた、静かでとてもきれいな湾です。

上る途中で、左側に初瀬の岩脈(はぜのがんみゃく)の断崖が見え隠れします。









この神社、階段がおよそ320段あるので、上るのが大変です。

山頂も、周りは木々がたくさん茂っていて、見晴らしは良くありませんが、周囲の海を少し、見渡せることができます。











祭神

祭神は、イザナミノミコト、速玉男命(ハヤタマオノミコト)、事解男命(コトサカオノミコト)です。


速玉男命(はやたまおのみこと)・事解男命(ことさかおのみこと)

イザナミノミコトは、火の神、火具土命神(カグツチノカミ)を、産んだとき、女陰を焼かれて、やけどをし、それがもとで、亡くなり、黄泉(よみ)の国に、行ってしまいます。

夫のイザナギノミコトは、まだ、国造りが完成していないので、妻に帰ってほしいと、頼むために黄泉の国に出かけます。

妻は、「自分は、黄泉の国の、食べ物を食べてしまったので、もう、あなたのもとには、帰れない。

でも、黄泉の国を支配している神様と相談してみましょう。

ついては、そのときの、私の姿を、ぜったいに見ないでください。」、と言って、黄泉の国を支配している神様の屋敷に出かけました。

しかし、いつまで待っても、妻は帰ってきません。

夫は、しびれをきらして、黄泉の国を支配している神様の屋敷に入って、行きました。

ところが、夫が見た、黄泉の国の妻の体には、頭、胸、腹、左右の手、左右の足、女陰の8ヶ所に、たくさんの蛆虫(うじむし)の神様、「八雷神(やくさのいかづちのかみ)」が、ごろごろ音をたてて、たかっていました。

夫は、この光景を見て、びっくりして、自分も、このようになるのではないかと思い、怖くなって、その場を逃げ出しました。

これを見た、妻は、「よくも私に恥をかかせましたね。」、と言って、夫を殺そうと、追いかけてきました。

このとき、夫は、後を追いかけて来る妻に対して、「不負於族」(うがらまけじ=お前には負けないぞ、という意味)、と言って、唾をはきました。

このとき、生れた神様が、速玉男命(ハヤタマオノミコト)です。

そして、さらに、イザナギノミコトが、イザナミノミコトや黄泉の国との関係を断つために、その唾を掃いたときに、生れた神様が事解男命
(コトサカオノミコト)です。

速玉男命、事解男命の2人とも、イザナミノミコトの子どもで、兄弟です。

夫は、必死で逃げ、地下にある黄泉の国と天にある
高天原の国の境界まで来たときに、これ以上、妻が入って来ないようにするために、千人で運ぶほどの大きな岩で、境界をふさぎました。

やっと、黄泉の国から、脱出した夫は、けがれをとるために、川に入って、みそぎをしました。



宝物


宝物として、日高信助が奉納した「かぶと」や「よろい」があります。

















貴重な植物群

この神社の森には分布北限の「ギョクシンカ」「ヒメハマナデシコ」、長崎県で初めて発見された「ヤマラン」などの貴重な植物がたくさんあります。

しかし、今は、人工が加わっていて、自然の群落はほとんどありません。

森全体が県指定天然記念物になっています。

森の中には、大木のスダジイ、マテバシイ、カズラ類などのつる植物が生い茂っています。








悪党

安土桃山時代に、豊臣秀吉の命令で朝鮮出兵をした兵隊が、逆風に会い、ここ、初瀬浦に漂着しました。

この兵隊が、また悪者で、神社の境内にあった石の置物や建物の中にあったいろいろな神具などを、壊したり、崖から投げ落としたりしたために、氏子(うじこ)の人たちがそれを拾って、元の場所に戻しています。

また、室町時代に日高信助が、天狗と話をするためにここの森に100夜こもりました。

その満願の日に、正体不明の大男が出てきたので、日高信助が驚いて刀を抜いたら、消えたという話もあります。

今でも、少し、石垣を築いた跡が残っています。



彦山大権現

鏡岳神社には次のようないわれが残っています。

むか〜し、壱岐の柳田という村に、彦兵衛(ひこべえ)という信心深い農夫が住んでいました。

日ごろから、豊前(今の大分県)にある彦山大権現を信じ、夫婦でときおり、豊前までお参りをしていました。

60歳になって、夫婦が彦山にお参りしたとき、夢の中でお告げがありました。

「自分は彦山権現である。お前たちは、私を信じて、何回もお参りしたので、私も、その間、ずっとお前たちを守ってきた。

しかし、お前たちももう年だし、はるばる海を渡ってくるのも大変だろう。

それで、初瀬の岩脈の崖の途中に生えている松の木の枝に、私と同体の鏡をかけておくので、その鏡をとって、神殿を建てて、鏡を奉納し、そこにお参りすれば、彦山に参拝するのと同じである。

よって、これからは、いつでも、お参りしたいときにそこにお参りするように。」、というものでした。

彦兵衛夫婦は、夢から覚めて、不思議な思いをしながら、すぐ初瀬の岩脈の断崖に行ってみると、お告げのとおりに、断崖の途中にある松の木の小枝に、鏡が1つ、こうこうと輝いてかかっていました。

そこで、人を吊り下げて、その鏡をとり、鏡岳に神殿を建てて、そこに奉納しました。

鏡は、人が作れるようなものではなく、一点の曇りもなく、あたり周辺まで光り輝いたといいます。

これ以来、この神社を鏡岳権現と呼ぶようになったということです。