壱岐の兵主神社
兵主(ひょうず)神社 |
兵主神(ひょうずしん) |
私は、兵主神社を訪ねたとき、その独特の名前に驚きました。
兵主神社は、日本全国に19社あります。
兵主神とは、どのような神様でしょう。
日本の神様ではありません。
古事記や日本書紀には、兵主神は登場しないのです。
兵主神社に、まつってある神様は、壱岐の場合、素盞鳴尊(すさのおみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)、事代主神(ことしろぬしのかみ)です。
しかし、この3人は形式上の、神様であり、兵主神は、中国の「史記」という本に出てくる、蚩尤(しゆう)という、武将が、神様になったものと考えられています。
蚩尤(しゆう)は、鉄を食べ、顔は人間、体は獣の姿をしていて、額(ひたい)には、角(つの)があり、角力(すもう)では、かなうものがいなかったといいます。
ということで、この、兵主神社はなかなか奥が深そうです。
しかし、ここでは、とりあえず、うわべだけのお話しになります。
祭神 |
素盞鳴尊(すさのおみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)、事代主神(ことしろぬしのかみ)がまつってあります。
素盞鳴尊は、別名、ヤマトタケルノミコとも呼ばれ、高天原(たかあまはら)で、姉の天照大神(あまてらすおおみかみ)に、乱暴をはたらいた罪で、高天原追い出され、地上に降りて、八岐大蛇(やまたのおろち)を退治した武将です。
大己貴神(おおあなむちのみこと)は、皆さん良くご存知の大きな袋を肩にかけている、大黒様と呼ばれている、神様ですね。
天照大神に、出雲の領土をゆずった神様です。
事代主神(ことしろぬしのかみ)は、大己貴命(おおなむちのみこと)の子どもで、別名、エビス様と呼ばれ、大きな鯛(たい)を、抱えている、豊漁、海上安全の神様です。
絵画 |
この、兵主神社の、神殿の側壁に、鮮やかな色の絵画があります。
絵には、獅子、梅、鶴、朱買臣(しゅばいしん)などが描かれています。
朱買臣については、次のようなお話しがあります。
朱買臣は、科挙(任官試験)を、何回受験しても合格しませんでした。
受験勉強のために、働くことができない朱買臣に代わって、妻が、農奴の下働きに出ていました。
当然生活は、極貧生活でした。
糟糠(そうこう)の妻という、言葉が浮かんできます
糟糠の妻とは、貧しい時から連れ添って苦労を共にした妻のことです
しかし、妻は、朱買臣を見捨てて逃げてしまいました。
妻に逃げられた朱買臣でしたが、猛勉強したかいがあって、50歳の時、科挙に合格し、官吏として故郷に赴任しました。
試験の合格者には、皇帝から錦の服が与えられ、この錦の服を着て出身地に赴任することになっていました。
故郷に錦を飾るとはこのことを言います
朱買臣が、故郷に赴任すると、村中の人々が、通りの両側を埋め尽くして出迎えてくれました。
この中に、今は、再婚して、新しい夫がいる、かつての妻もいました。
その夜 元妻は、朱買臣の宿舎を訪れて復縁を懇願
朱買臣は、元妻の話を聞いたあとで、「水を入れた土瓶と、茶碗を持ってきなさい」といい、元妻は、言われたとおり、土瓶と茶碗を持って来ました。
「茶碗に水をいっぱい注いでください。」。
元妻は言われたとおりにします
「その水を捨ててください。」
元妻は、水を捨てます
「今捨てた水を茶碗に戻してください。」
元妻は、捨てた水は跡形もないので、困ってしまいました。
その様子を見ていた朱買臣は、「以前、あなたは私の妻だったが、今は夫がいるではないか。あなたは今の夫をどうするつもりですか? 捨てた水は、元に戻せないように、元通りにはならない。今のご主人に生涯尽くしなさい」、と諭して帰しました。
元妻は、自宅に帰り、すぐに首吊り自殺をしました。
翌日、その事実を知らされた朱買臣は嘆き悲しみ 元妻を丁重に葬ったといいます。
びっくり |
何気なく、見上げたら大きな蜂の巣です。
これは、たぶん、スズメバチの巣ですね。
今にも、飛んで来て、襲いかかりそうです。
我家の軒下にも、スズメバチが、巣を作り始め、慌てたことがあります。