壱岐の人々の信仰総論


信仰総論



壱岐の人たちは特定の宗教を信仰している人はごくわずかです。

普通は、神社の氏子(うじこ)であると同時に、お寺の檀家でもあります。

したがって、壱岐の人たちは、仏教を信仰すると同時に神様を信仰している人たちでもあります。

もちろん、神道だけ、キリスト教だけ、仏教だけを信仰している人たちもいます。



牛頭天王祠(ごずてんのうし)

立派な灯篭の奥に、古い石祠がみえます。





















この石祠のなかにいるのは、牛頭天王(ごずてんのう)です。

頭には、牛の角があります。

なかなか、しぶくて、イケメンで、立派な顔をしています。


そして、その隣には、穏やかな顔をした仏様が、合掌して座っています。


壱岐の人たちが、神様と仏様を同時に信仰している例が、この牛頭天王祠です。

牛頭天王は、薬師如来(やくしにょらい)が、素戔嗚尊(すさのおのみこと)に化け、さらに、その後、素戔嗚尊(すさのおのみこと)が牛頭天王に化けた、といわれています。


いわゆる、神仏習合の神です。

もともと日本には、神道というものがあり、たくさんの神様がいました。


そこに、六世紀半ばに、仏教が、インドから中国、朝鮮半島を経由して、日本に伝来しました。

仏教の伝来者は、昔から日本にあった仏教を排斥しようとしないで、共存しようと考えました。

ななかなか、したたかな戦略です。

そして、最初に、神社の境内にお寺を建てて、もともと日本にいた神様は仏様が化けて、この世に現れたもので、神様の正体は仏様である、と説きます。

この考えを、権現(ごんげん)といいます。

例えば、素戔嗚尊(すさのおのみこと)は薬師如来が化けたもの、天照大神(あまてらすおおかみ)は大日如来が化けたもの、と考えるわけです。

私たちは、現在、神社にお参りすると同時に、お寺にもお参りします。

日本人の心の中には、神道と仏教が、お互いに排斥することなく、混在しているのです。

しかし、明治政府は、神仏分離令を出し、神社では仏像を神体としてはいけない、神社にある仏教関係のものはすべて除去する、ということになりました。

これによって、神社では権現、菩薩、牛頭天王などの仏教用語は、使用禁止になりました。

ここにある、石祠には、神様の素戔嗚尊(すさのおのみこと)と、仏様がなかよく並んでいます。

典型的な神仏習合の現れです。