壱岐の長栄寺
長栄寺 |
焼失 |
曹洞宗。
平重盛の祈願で島内に建てられた七堂の一つでした。
由緒ある大御堂(おおみどう)も昭和50年2月に、放火によって全焼しました。
本尊聖(しょう)観音坐像(平安時代・行基作)、脇士、広目天、毘沙門天各立像(運慶作)も焼失しました。
室町時代に、波多氏と日高氏が、壱岐の支配を巡って、戦争をしたとき、壱岐6人衆がここにこもり、火をかけました。
その時、御堂(みどう)は全焼しましたが、本尊と脇士は無事でした。
五輪塔群 |
五輪塔は主に供養塔や墓塔として建立されました。
参道の片側に古めかしい13基の五輪塔群が並んでいます。
どれも鎌倉・南北朝時代の古いものです。
五輪塔は、5つに分けることができます。
上から、「空輪(キャ)」「風輪(カ)」「火輪(ラ)」「水輪(バ)」「地輪(ア)」です。
昔、この周辺は、荘園がありました。
中世には呼子氏や牧山氏らの豪族が勢力を張っていました。
この寺の背面の小高い丘を、城の辻といいます。
ここに、呼子氏や牧山氏らの本拠地の白石城がありました。
13基の五輪塔は、もとは城の辻の山中にあったものを明治の中ごろ今の地に降ろしました。
持ってくるときに、いい加減に組み合わせたらしく、不ぞろいのものがたくさんあります。
だれの墓か分かっていません。
呼子、牧山両氏より以前の豪族の墓だと考えられています。
最古 |
五輪塔群のなかに、「承元三年七月」(1209)という紀年名をもった高さ40cmの小ぶりの宝塔がありました。
承元三年というと、鎌倉時代初期にあたります。
長崎県では一番古い宝塔です。
いろんな墓石が、所狭しと置いてあります。
詳しいことは、分かっていません。