貞婦玉主売(たまぬしめ)の墓
奈良時代にあったお話です。
壱岐に玉主売(たまぬしめ)という女性がいました。
この女性、15歳で夫を失いました。
しかし、その後、再婚することもなく、30余年の間、亡くなった夫のことを思い、夫の墓を守ってきました。
やがて、このことが、朝廷の耳に入りました。
772年(宝亀3年)、朝廷は、良く平素から、夫の墓を守っているのは、あっぱれなことだ、といって、爵2級を授け、一生、田祖を免じ、表彰しました。
じつは、この玉主売という女性は、もともと、壱岐を支配していた豪族、壱岐氏の血筋をひいていると言われています。
壱岐を支配した最初の豪族は、天児屋根命(あまのこやねのみこと)です。
この天児屋根命から数えると、玉主売は30代目の孫にあたります。
また、天児屋根命の11代目の孫が雷大臣命(いかづちのおおきみのみこと)です。
この雷大臣命の子供に、壱岐直真根子(いきのあたいまねこ)という有名な人物がいます。
この真根子より数えて16代目の孫に壱岐直玉守(いきのあたいたまもり)という人がいました。
ここでのお話しの主人公玉主売はこの壱岐直玉守(いきのあたいたまもり)の娘です。
玉主売の墓のすぐ隣に神社があります。
この神社には比売大明神(ひめだいみょうじん)という神様をまつってあります。
この比売大明神(ひめだいみょうじん)は、玉主売のことです。
江戸時代に、平戸藩親衛士隊長の葉山高行が、玉主売の霊をまつったものであると、そのいわれを藩主に進言しました。
それを聞いた平戸藩主は感動し、1855年(安政2年)、葉山高行に命じて碑文を作らせこの地に石碑を建てさせました。
私の愚妻も、私が死んだら、絶対再婚しないと言っております。
しかし、それは、夫の墓を守るためではなくて、男はもうこりごりだ、いう理由からです。
熟年離婚が怖いです。
国分平蔵(仙台藩士)の詩が彫ってある碑もあります。
そばにある比売大明神は、この玉主売の霊をまつっています。