小松と作助のお話
江戸時代のお話です。
唐津の裕福な廻船問屋(かいせんどんや)に小松という、それはそれは、とてもきれいな1人娘がおりました。
17、8歳の頃になると、その美しさに磨きがかかり、また、とてもかわいらしく、店の看板娘となり、知らない者がいないほどでした。
一方、この店には、たくさんの使用人がいて、そのなかに作助(さくすけ)という、丁稚(でっち)がいました。
作助は、歳(とし)も一番若く、店の掃除や水まきなどの雑用を毎日こなしていました。
作助は、家が貧しく、小さいときから、丁稚小僧の下働きから始めた、働き者でした。
小松の毎日の世話は、「ハナ」という、お手伝いさんがやっていましたが、このハナが、都合で郷里の壱岐に帰ることになりました。
困った、店の主人は、年齢が一番近い、作助に、次のお手伝いさんが見つかるまで、小松の遊び相手を、するように頼みました。
作助は、初めは、とまどっていましたが、それは、お互いに子どもどうしのこと、すぐに仲良くなって、お手玉遊びなどをして、楽しい毎日を過ごしていました。
やがて、年月も過ぎ、作助は、あまり小松の相手をすることもなくなり、店の仕事に精を出すようになりました。
店の仕事にも慣れ、一生懸命に働く姿を見ていたその店の主人は、将来、のれん分けをして店を持たせようとまで、考えていました。
作助は、今で言う、イケメンの男で、24、5歳になっていました。
毎日、家族同様に生活し、小松も「お兄さん」と呼ぶほどの間柄でした。
小松には、毎日のように、縁談が舞い込んできましたが、店の主人は、小松を手ばなすのが惜しかったので、縁談をことわり続けていました。
これを見ていた作助は、小松が結婚しないのは、自分に、気があるからではないか、小松が自分と結婚したいために、縁談をことわっているのではないか、と、思うようになりました。
そして、作助は、小松がだんだんと好きになり、将来、所帯を持てたらどんなに良いことかと、思うようになりました。
ある日、小松にどうしても、ことわることができないような、商家から、縁談があり、お見合いをすることになりました。
それを聞いた作助は、何としても、この縁談をこわすべく、お見合いの相手の店の前で、小松のうその悪口をさんざん、言いふらし、そのために、小松の縁談はこわれてしまいました。
作助の、小松に対する思いは、つのる一方で、自分以外の者が、小松と話しをしていると、そばに行って、じゃまをしたりするようにもなりました。
作助のようすがあまりにもひどいので、店の主人は、作助を誘い、居酒屋でいっぱいやりながら、小松に対して、どう思っているのかを、聞きました。
作助は、店の主人に、自分は、丁稚の身分なので、かなわない願いとは思いますが、小松のことが頭から離れず、ぜひとも、結婚したいと思っている、ということを言いました。
店の主人は、はたと困ってしまい、身分が違いすぎるので、結婚を認めることはできない、と、はっきりことわりました。
主人は、作助に、どんどん酒をついでやって、何とか、小松のことを、あきらめさせようとしました。
すすめられるままに、酒を飲んでいた作助は、飲みすぎて、よっぱらってしまい、その勢いで、大暴れをしてしまいました。
その一部始終を、軒のかげから、よっぱらって、大暴れをする作助を小松が見ていて、こんな人とは、とても、いっしょになることはできない、と、思って、店に逃げ帰りました。
次の日から、作助の態度ががらりと変わり、小松に、一日じゅう、つきまとうようになりました。
小松は、しじゅうつきまとう、作助をほんとうに、嫌いになりました。
こまってしまった、店の主人は、小松を、しんせきの家に預けることにしました。
小松がいなくなったのを知った作助は、心あたりの家を、一軒、一軒、さがし続け、とうとう、小松をさがし出し、つれ帰りました。
ますます、困った、店の主人は、以前、小松のめんどうを見ていた、壱岐に住んでるハナに、小松を預けることにしました。
壱岐は、離島なので、作助には、分からないだろうと、思ったからです。
小松は、唐津から、壱岐の印通寺浦(いんどうじうら)まで、船に乗って渡りました。
店の主人は、これなら、ぜったいに、作助には分からないだろうと、と、思っていました。
しかし、作助は、小松が壱岐の印通寺に、ハナといっしょに住んでいることを、つきとめてしまいました。
壱岐に小松が住んでいることを知った、作助は、いてもたってもおられません。
1人で、小さなてんま船をこいで、玄界灘を渡り、壱岐にやって来ました。
そうして、壱岐にいる小松を、探し出してしまいました。
小松は、しつこい作助が、ますます嫌いになると同時に怖くなって、作助から逃げ出しました。
私のことは、はやく忘れてと、言いながら逃げる小松、それを、どうして、逃げるんだ、私の話も聞いてくれ、と、思いながら、あとを追いかける作助。
小松がかくれる、それを見つける作助。
こういう状態がしばらく続きました。
小松は、筒城(つつき)の海岸にある、漁師小屋に追いつめられてしまいました。
小松は、作助に、とても結婚はできない、愛情はもっていない、これ以上、つきまっとて、迷惑をかけないでほしい、と言いましたが、作助は、聞き入れません。
小松は、漁師小屋を飛び出し、大浜の海岸の方に向かい、また、逃げ出しました。
しかし、大浜にある、断崖まで、追いつめられて、とうとう、逃げ場がなくなってしまいました。
小松は、逃げ切れないと、思った小松は、彼の目の前で断崖から、海のなかに飛び込みました。
これを見て、作助は、小松を助けようと飛び込みました。
小松は、もがきながらも、逃げたいいっしんで、沖の方にどんどん進んで行きました。
が、荒海には勝つことはできず、2人はおぼれて死んでしまいました。
このようすを見ていた村の人たちは、2人をかわいそうに思い、西福寺(さいふくじ)の、和尚(おしょう)さんと相談し、2人の墓をつくることにしました。
もちろん、2人の身分が違うので、いっしょの墓はつくることは、できません。
少し離れた別々の場所に、それぞれ、つくることにしました。
2人の墓は、錦浜という海水浴場の近くの畑のそばにあります。
写真は、小松の墓です。
身分の違いからか、小松の墓は、階段を上ったところにあります。
これは、作助の墓です。
立て看板の前にあり、小松の墓から20mくらい離れた道端にあります。
自然石を積んだだけの物なので、墓ではなく、後に建てられた供養塔かも知れません。
地元の人は、はれものや吹き出物ができたときにお参りするそうです。
地元の人たちは、小松がうちあげられた海岸を、小松浜(こまつはま)と、今でも、呼んでいます。