壱岐の若松6人地蔵



若松6人地蔵

ここにはたくさんのお地蔵さんが祀ってあります。

ここを訪ねた日は、風がゴウゴウと強くて、周りが薄暗く、とても気味の悪い日でした。

お地蔵さんは、右の写真のような,うっそうとした、周囲に民家のない森の中にあります。
























この場所は「若松(わかまつ)6人地蔵」と呼ばれていますが、100体ほどのお地蔵さんが祀(まつ)ってあります。

もともと、6地蔵というのは、室町時代に、足利尊氏が信仰してそれが全国に広まったとされています。























この場所は、5、60年前までは、茶店もあってにぎわっていました。

明治、大正から太平洋戦争時代には、島内の地蔵さん信仰の中心的場所で、昼夜を問わず、たくさんの人でいっぱいでした。

戦時中は、出征兵士(しゅっせいへいし)の無事を祈って、夜中にお参りしていたともいいます。

お地蔵さんの体には赤い毛糸や布でできた頭巾(ずきん)や腹がけをしてあります。

それにしても、これらのお地蔵さんの顔の表情が、他の場所にあるお地蔵さんと違って、のどかな感じがしないのは私だけでしょうか。

なんとなく、沈んだ表情に見えます。

当初は、6地蔵でしたがその後だんだん増えて、今のような数になりました。















壱岐は牛の産地でもあることから、牛の石像もたくさん置かれています。

また、お地蔵さんのなかには、キリスト教に関係しているようなものもあります。

なにしろ、100体ほどありますから千差万別(せんさばんべつ)です。












由来

なぜ、この場所に6地蔵さんが造られたかはっきりしたことは分かりません。

昔、米を計る枡(ます)を不正にして年貢米をごまかして死刑になった役人を祀ったものであるとか、豪族が争ったときに、最後まで戦って死んだ人を祀ったものだとか、正義のためにことを起こし、壱岐に流され首を切られた人を祀ったものであるとか、いろいろ言われています。

また、当初は、お堂があって、お地蔵さんもその中に祀っていましたが、お地蔵さんが家を嫌いなために、自分で焼いて外に出たとも言います。


井戸

これは、井戸です。

今でも、使用されているらしく、中には、水がたまっていました。