壱岐の志自岐神社 十七


志自岐神社

祭神

十城別(ときわけのみこ)、武加比古王(たけかいこのみこ)、日本武尊(やまとたけるのみこと)、帯彦天皇(たらしひこすめらのみこと)、稲依(いなよりのみこ)、
稚武
(わかたけのみこ)、稚武彦(わかたけひこのみこ)

そうそうたる、メンバーの祭神ですねぇ。

日本武尊(やまとたけるのみこと)の子供たちが、総出演しています。

全員が、戦争の神様といわれるくらい、戦い、戦いで、明け暮れた人たちです。

古い本に、次のようなお話があります。

昔、神功皇后が、三韓征伐のために壱岐に寄ったとき、十城別王命(ときわけのみこ)を伴っていました。

しかし、十城別王命(ときわけのみこ)は、戦争が怖くなり、途中で引きかえしました。

神功皇后は、その命令に違反している、と言って、責め、怒り、弓箭
(ゆみや)を執り、背中をめがけて投げたら、あやまたず王を射通しました。

これ以後、この地を射通し「イトヲシ」といい、これが訛って、「印通寺」となった、という事です。

また、皇后の箭を投げた地を「ナゲヤ」と言い、今は、名護屋と呼び、呼子村の西に在あります。

名護屋は、豊臣秀吉が、朝鮮出兵の際、名護屋城を築いた場所です。


式内社24社にいう、邇自神社は、ここではないかと、とも言われています。


この神社の境内には、いろいろな動物の彫り物がたくさんあります。


拝殿のなかには、みごとな、素晴らしい絵馬もあります。


(神様のお話)

日本武尊(やまとたけるのみこと)は最初、垂仁天皇(すいにんてんのう)の娘、両道入姫(ふたぢのいりひめ)と結婚し、稲依王(いなよりのみこ)、帯彦天皇(たらしひこすめらのみこと、足仲彦(たらしなかつひこ)ともいい、後の仲哀天皇)、布忍入姫命(ぬのしいりびめのみこと)、稚武王(わかたけのみこ)という、子供がいました。


日本武尊は、又、吉備武彦(きびのたけひこ)の娘、吉備穴戸武姫(きびのあなとたけるひみ)とも結婚し、武加比古王(たけかいこのみこ、武卵王(たけかひごのみこともいう)と十城別王(とおきわけのみこ)という、子供がいます。


日本武尊は、さらに、忍山宿禰(おしやまのすくね)の娘、弟橘姫(おとたちばなひめ)と結婚し、稚武彦(わかたけひこのみこ)という、子供がいます。



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