壱岐の王都公園


 壱岐の王都公園


王都公園は、原ノ辻遺跡の一部を利用して、建設されました。

平成17年~平成22にかけて、建物17棟、体験広場、植物園、環濠等を復元しました。


原ノ辻遺跡は、魏志倭人伝の中に書かれている、弥生時代の王都のなかで、日本でただ一つ、一支國という王都の名前とその場所が一致したところです。


市では、広大な原ノ辻遺跡の一部を利用して、弥生時代の遺跡を復元しました。

大規模な弥生時代の遺跡には、吉野ヶ里遺跡や登呂遺跡がありますが、ここ、壱岐でもこれらの先人にならって、遺跡を復元しました。

ここでは、復元された建物などについて、そのすべてをお話します。








 集会所と長老の家

弥生時代の意思決定は、経験がものをいいます。

自然と、その村の長老を中心として、代表者が集まり、会議を開き、いろいろな決定をしたと考えられます。

ここでは、集会所とその隣に長老の家が建てられています。






長老の家 


経験だけが頼りの時代には、長老はとても大切にされました。


集会の取り仕切りや
民衆のまとめ役をする、村の指導者的な存在で、何でもよく知っていました。

勾玉の作り方、どこに木の実があるか、米の作り方、くわやすきなどの農業道具の作り方、魚の獲り方などを指導しました。


文字などの記録方法がなかったので、知識と経験の豊富な、長老はみんなの、より所でした。


建物には、杉の皮のでできた、取り外しのできる扉がついています。


建物の中には、
種もみの入った俵、衣服、食材、器類、酒器などがあります。


この近くでは、
権、大量の土器、ココヤシの笛、卜骨などが見つかっています。





集会所 

さまざまな専門的な仕事に従事している専業集団の長や住民たちが集り、話し合いをした場所です。


農業、漁業、土器作り、道具作り、
稲作や畑作の長など、村の指導者たちが集まり、村の将来のための、建設的な意見を戦わせた場所です。

建物は、内開きの扉でできています。


室内には、
大綱(結束の象徴)などが置かれています。


窓が
1か所あります。




 迎賓館

中国や朝鮮半島からやってきた、使節団の長やその従者をもてなすための建物です。

ここにある建物のなかでは、食事をしたり、酒を飲んだり、踊りを踊ったり、いろいろ派手な、行事が行われました。






 使節団長の建物


集落の中心にあり、他の建物よりも一回り、大きい建物です。

中国や朝鮮の王の使いとしてやってきた責任者や交易のためにやってきた責任者が滞在するところです。


使節団を迎える場所にも使用され、今の迎賓館というところでしょう。


壱岐の国王と食事をしたり、酒を飲んだり、ダンスをしたり、楽器の演奏などをしたことでしょう。


イヌは高級食材でした。


建物の中には、舶来品の文房具、化粧用具、外国の器、食器、道具、高級品
(ブランド品)、衣服、装身具、机などが置かれています。


この建物の近くでは、朝鮮系土器、牛の角の形をした把手のある土器、人面石、貨泉、権などが、見つかっています。











使節団従者の宿舎 

使節団長の身の回りの世話や、食事の世話、護衛をする者が泊まるところです。


10人~20人が宿泊できる広さがあります。


伏屋(ふせや)構造の竪穴住居で、寄棟造りです。


外交や交易の仕事の合い間に、楽器の演奏などもしていたと、思われます。


建物の中には、生活必需品やそれぞれが持ち込んだ荷物食料、木の実、薬、食器・調理具、小物入れなどがあります。


この建物の近くでは、朝鮮系土器、牛の角の形をした把手のある土器、人面石、貨泉、権などが、見つかっています。








使節団の倉庫 

使節団を迎えるための道具を収納ところです。

使節団が来たときには、使節団が持ってきた物を保管する場所でもあります。

建物の中には、保存食、食料品、行李、荷物入れ、薬種、器類などが置いてあります。


高床式で、両開きの扉、屋根は切妻になっています。


この建物の近くでは、朝鮮系土器、牛の角の形をした把手のある土器、人面石、貨泉、権などが、見つかっています。













 王の居館

一支国の王の住居です。

魏志倭人伝によりますと、
大官を卑狗(ひこ)、副を卑奴母離(ひなもり)といいます。

建物は、伏屋(ふせや)構造の大型竪穴住居です。

出入り口の正面に目隠しの間仕切り壁があります。


屋根には、屋根飾りがついています。


王の墓は
まだ、発見されていませんが、王の存在を示すようなものはいくつか発見されています。


たとえば、中国式銅剣の剣先、細形銅剣、銅鏃、多紐(火へん)細文鏡片、有鉤銅釧、玉類、長宣子孫銘内行家文鏡などです。


建物の中には、剣、机等が置かれています。


この建物の近くでは、朝鮮系土器、牛の角の形をした把手のある土器、人面石、貨泉、権などが、見つかっています。






 鳥居

門柱には、鳥の彫刻がのせてあります。
鳥は空から舞い降りた神聖な動物の象徴です。

遺跡の柱の跡に、現在の柱を立てています。

鳥居の向こうには、周りを生垣で囲っている、祭祀や儀式を行っている、原ノ辻の中心となる場所があります。

鳥居は、イヌマキで作られています。

イヌマキの花言葉は、慈愛、色あせぬ恋です。











 周溝場遺構

周囲を溝で取り囲んであります。

ここから、鉄剣や鉄鎌が出土しました。

なんらかの儀式が行われていました。


















 祭儀場

祭儀場は、原ノ辻では、一番高い所にあります。


祭儀場を中心にして、住居跡群が数多く建てられ、大集落の跡がみつかりました。


一支国には中国大陸や朝鮮半島からモノだけはなく、占いの文化も同時に伝わっていました。


祭祀を執り行う巫女や首長もいました。


この祭儀場には、主祭殿、脇殿、祭器・儀器の倉の3つの建物があります。



主祭殿 

祭祀や儀式を行うところです。

王が神と対話する場所でもあります。

伊勢神宮と同じ屋根の作りをしていて、屋根を補強するために、千木(ちぎ木の柱2本を交差させ、切り揃えない)鰹木(かつおぎ・水平に並べた丸太)が見えます。


建物の中には、神の座、王の座、神饌(しんせん)の膳などがあります。


ここでは、
季節ごとに、農耕神事、病気をしないように、戦争が起こらないように、戦争が起こったときには、戦争に勝つようになど、様々な祭祀を行いました。


祭祀には、農業にかかわるものと、祖先の霊をまつるものがありました。

農業関係の祭祀には、田植えをいつするか水乞い、今年も豊作になるように、収穫祭をいつするかなどを行ないました。


収穫祭では、身を清めた王が、今年獲れた、新米、あわ、きび、木の実、海産物などのお供え物を捧げ、共に食べ、豊作を感謝します。



農業に関する遺物としては、
龍線刻土器(りゅうせんこくどき)があり、体を巻いて丸くなった龍と反り返って宙(そら)に昇る龍が描かれています。


祖先の霊を祀るは、
亡くなった祖先が、 生きている者の生活に影響を与えている、あるいは与えることができる、という考えから、亡くなった人が村に、災いをおこさないように、また、いつまでも、村を守ってもらうように、と、祈りました。


屋根には屋根飾りがあり、切妻造り、茅葺きです。


外開きの扉は、
1本の木から作られています。


高床倉庫の床を支える横材のことを、
床大引材といいます。


柱と連結するため中央に「ホゾ」用の穴があります。


イヌマキの丸太材を加工して作られています。

この建物の近くでは、朝鮮系土器、牛の角の形をした把手のある土器、人面石、貨泉、権などが、見つかっています。



脇殿 

王の控用の建物です。

身を清め、祭服を整える
ための場所です。

祭服、装飾品、化粧用具等が置いてあります。


屋根飾りがあります。


建物の中は、板間と土間とに分かれています。


この近くでは、朝鮮系土器、牛の角の形をした把手のある土器、人面石、貨泉、権などが、見つかっています。






 祭器・儀器の

祭祀に用いる用具を収納します。
建物の中には、調理用具、食器、祭服、装飾品、琴や小銅鐸などの楽器、卜骨、酒を入れるための丹塗土器(にぬりどき)などが置かれています。

赤色顔料が付着し、朱をつぶした石杵や先端部に水銀朱が付着した銅鏃が見つかっています。


特殊な祭祀用具として、日本最古のコ
コヤシ製の笛も2点、見つかりました。

食べ物を盛るために用いる脚のついた器である、
高坏(たかつき)も見つかりました。


この建物の近くでは、朝鮮系土器、牛の角の形をした把手のある土器、人面石、貨泉、権などが、見つかっています。


 






 祭祀用の食材倉庫

祭などの儀式に用いる食材を保管するところです。

儀式のために、特別に作られた米や海産物、木の実、ヤマブドウやニワトコの実などを使った果実酒、口でかんで作った酒、祭服、供え物の調理に使う調理具などが保管されています。


高床式
で、屋根は切妻造り、束柱(つかばしら)があります。

この建物の近くでは、朝鮮系土器、牛の角の形をした把手のある土器、人面石、貨泉、権などが、見つかっています。











 穀倉

収穫した米、麦、粟、ひえ、きび、雑穀、どんぐり、シイの実などの木の実、等を入れる倉庫です。

米は、稲穂かモミの状態で保管します。

高床式の造りで、桁行の間に束柱(つかばしら)を使っています。


ネズミ返しもあります。

屋根は、切妻造りです。


この建物の近くでは、権や住居跡などが見つかっています。


これから先は、墓域で、甕棺出土しました。









 交易関係の建物

弥生時代の交易は、お金で支払うのではなく、物と物とを交換する、物々交換でした。

そこでは、棹秤を使って、交換が行われていました。

その物々交換を円滑に進めるには、責任者や施設が必要です。

ここでは、交易に必要な、交易司の家と、品物を保管するための倉庫が建てられています。






 交易司の家

交易の仕事をする者とその家族が生活するところです。

中国や朝鮮で、戦争に敗れた人たちがやってきて、住みついた、渡来系の人物が住んでいた、と思われます。


魏の国から持ってきた、文書や、贈答品を、なくなっていないか、すべてそろっているか、
どんな物が、何個あるか、武器、剣、土器、矢などを誰に何個渡すか、その見返りに、何を交換にもらうか、誰とどんな品物と交換するか、武器の剣、やじりと勾玉を何個交換するかなどを考えていました。

取引内容の相談や情報交換もしていました。



使節団の宿ともなりました。


床に、敷物を敷いて寝るようになっいます。

寄棟造りで、土壁、茅葺きです。







 交易の倉庫

交易品(物々交換をする品物)や棹秤などの交易を行うための道具を収納する建物です。



高床式です。


この建物の近くで、
権が見つかりました。




















物見櫓 

内海湾から入って来る船や、敵の侵略がないか、不審者はいないか、などの見張りをするところです。

前方には、幡鉾川が流れているので、河口も見張っていました。

異常があれば、隣の番小屋に知らせます。






















番小屋 

番小屋からの異常事態の発生の知らせがあれば、すぐに対応できるように、10人位の兵士がいたところです。


鏃、楯、ほこ、石剣、投げ弾などの武器や武具、
水や食糧、衣類などが用意されていました。





















 使節団の宿舎

中国や朝鮮の使節が泊まるところです。
扉は、杉の皮でできています。

壁立式、寄棟造りです。

窓が1つついています。



この建物の近くで、
捕鯨線刻土器が見つかりました。















 通訳の家

韓国の南海岸地域でみつかった住居と同じ作りです。


通訳は、渡来系の人が行ない、中国語、朝鮮語、日本語に堪能な人です。


建物の中には、
生活必需品、机、文房具などが置かれています。


この建物の近くで、捕鯨線刻土器が見つかりました。






 土器溜り遺構露出展示施設

ここでは、発掘されたままの状況を展示しています。

たくさんの土器の破片、石器、
祭祀に使われた特別な土器などがあります。































門・柵 

原ノ辻を訪問する、外国からの使節団や、隣村からきた人々を迎えるところです。

門の内側には、邪気を払う魔除けの楯が立てかけてあります。

























東側環濠 

環濠は、深く掘られた溝で、外敵の侵入、動物の侵入に備えて、村を守るための施設です。

原ノ辻で掘られた環濠は、一つではなく、いくつも掘られていて、多重環濠集落と呼ばれています。

環濠は、土器のなどのごみ捨て場として使用したり、水汲み場としても使用されました。














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