壱岐の旧石器時代
六郎瀬鼻(ろくろうせばな) |
この海岸は玄武岩、凝灰岩(ぎょうかいがん)、流紋岩(りゅうもんがん)でできています。
500万年前の地層です。
500万年前というと、世界では、アフリカで初めての人類が誕生した時代、日本では、今の日本列島の形が出来上がりつつあった時代です。
このような時代に、ステゴンドン象が日本に住んでいたのですね〜。
この地層から、昭和46年に、中学校教師の田島俊彦さんが「ステゴドン象」の化石を発見しました。
軽石の混じった、泥や砂礫、小石の中から、発見されたのは牙の大きさの違いから、2頭分の化石であることが分かりました。
発見されたものは、肋骨(ろっこつ)、臼歯(きゅうし)、象牙(ぞうげ)、脊椎(せきつい)、大腿骨(だいたいこつ)などでした。
象牙の長いものは1.2mもあり、太さは直径20cmというものもありました。
牙の長さから推定すると、背の高さが4mはある、と思われます。
ステゴドン象は、今から1200万年前から200万年前に、インド、中国、日本などの東アジア大陸やアフリカに生息した象で、皆さんたちが良くご存知のマンモスの祖先といわれています。
この化石が発見されたことから、壱岐は当時、大陸と陸続きで、象や多くの動物たが自由に往来していたことが分かります。
出土層一帯は県指定天然記念物になっています。
実は、まだ掘り出していない化石もあるのではないかという話しもあります。
左の写真は六郎瀬鼻で発見されたステゴドン象の復元です。
ステゴドン象の特徴は牙のつくりにあります。
ステゴドン象の牙は、外側に向かって伸びています。
これに対して、マンモスなどの牙は、内側に向かって伸びています。
ステゴドン象の特徴は、牙だけではなく、臼歯(きゅうし)、すなわち、奥歯の形にもあります。
ステゴドンという言葉は、ギリシャ語のStego(屋根状)とOdontos(歯)の合成語で、もともとの意味は、「屋根型の歯をもつもの」という意味です。
その臼歯を横から見ると、屋根の形をした歯がたくさん並んで、1つの臼歯になっているのが分かります。
これは、マンモスの臼歯です。
ステゴドン象とは、作りが違っています。
右の写真は、実際に発見された化石の一部分です。
なお、余談ですが、弥生時代の遺跡が発見された国特別指定遺跡の原の辻(はるのつじ)遺跡からは、ナウマン象の臼歯が3個発見されました。
これらのことから推測すると、壱岐にはそうとうたくさんの象が広い範囲にわたって、住んでいたことが分かります。
およそ3万年前、日本は、大陸と陸続きになっていました。
もちろん、壱岐も大陸と陸続きになっていました。
ナウマン象が、朝鮮半島経由で、大陸から日本に移動してきたのは、今から、30万年〜1万6千年前といわれています。
日本では、旧石器時代です。
そして、このナウマン象を、食料にするために、旧石器人たちが、後を追いかけて大陸からやって来ました。
なんとなく、ロマンを感じます。