壱岐の白沙八幡神社(はくさはちまんじんじゃ)
白沙八幡神社(はくさはちまんじんじゃ) |
見上げる |
でかい鳥居ですね〜。
見上げるほどの高さです。
この大きな鳥居の向こうに初めからあった鳥居と神社の建物があります。
最初の創建は奈良時代にできたとも、平安時代にできたともいわれています。
大分県の宇佐神宮から勧請(かんじょう)しました。
その関係で社殿は大分県の宇佐の方向を向いています。
なぜ、宇佐神宮なのか? 不思議に思われるでしょう。
実は、平安時代に、この周辺は、筒城庄(つつきのしょう)と呼ばれていて、もともと、宇佐弥勒寺領でした。
この時代は、地方の社寺が、自分の持っている領地を、力の強い社寺に寄進して、守ってもらうことが行われました。
そのときに、寄進した相手が信仰している、神様を持ってくるというわけです。
そいうところから、宇佐八幡宮と、深い関係が出来ています。
後ろのほうに小さな鳥居があるのが見えるでしょうか。
後ろにある鳥居が最初に建てられた鳥居で、建てられた当初は高かったのが、風が当たるので土の中に埋めてしまいました。
松浦信実(まつうらのぶざね)の銘が刻まれています。
祭神は三韓出兵にゆかりのある、仲哀天皇、神功皇后、応神天皇などです。
36歌仙 |
右の写真は拝殿とその拝殿の中の天井に描かれている36歌仙の絵です。
江戸時代に第29代平戸藩主、松浦鎮信(しげのぶ)が奉納しました。
36歌仙というのは、平安時代に藤原公任の「36撰」に選ばれた歌人のことです。
柿本人麻呂、紀貫之、小野小町らがいます。
ここの神社のものは縦43cm、横27cmのヒノキの板に書かれています。
歌は鎮信の直筆で、画は片山尚景が描いたものです。
巨石 |
左の写真も拝殿の中です。
大きな長方形の石が横たわっているのが見えるでしょうか。
室町時代に、拝殿を建て替えたとき、この石を除こうとしましたが、石から血が流れてきたので、みんな恐れて動かすのを止めたといいます。
この石は床下から出てきているものでとても大きな石と思われます。
「からびつ石」と呼ばれています。
鎮守の森 |
右の写真はこの神社の周辺にある鎮守の森です。
神社の周辺の全体が県指定天然記念物になっています。
スダジイの大木を中心にして、イヌマキ、イチョウ、イスノキ、ホルトノキ、クス、ヤブニッケイ、の老大木があります。
うっそうとした森の中に入っていくと背筋がゾクゾクするような感じになって、背後霊でもとりつているのではないかと思うほどの静けさです。
時おり、カラスなどが大きな羽音を立てて飛び立ちます。
狛犬 |
神社の境内(けいだい)を、守っている狛犬です。
表情が豊かですね〜。
大木 |
この神社の境内には、大きな木がたくさんあります。
特に、イチョウやマキの大木は見事です。
神様が、宿っているような感じも受けます。
三猿 |
「言わざる、聞かざる、見ざる」の三猿です。
世渡りのコツは、意外と、このような態度にあるのかも知れません。
御飯井(おめしごう) |
この井戸は、神功皇后が、三韓征伐で、立ち寄った時に、この水を使って、御飯を炊いたので、御飯井(おめしごう)という、名前がついています。